びんご 古城散策・田口義之

◆掛迫城と宮法成寺氏(1)
                                 (福山市駅家町) 〈213〉

狼塚第4号古墳 
 福山市の北郊、駅家町の法成寺は市内でも最も史跡に恵まれた地域である。先年、市の北部工業団地が造成された際、事前調査で出るは出るは、古くは縄文の遺跡から弥生時代の集落跡、古墳に至っては、数十基が確認され、計画の変更を余儀なくされたほどである。 
 中でも、破壊された正福寺裏山第1号古墳と狼塚第4号古墳は注目された。正福寺裏山第1号古墳は、径16メートルほどの円墳であったが、内部に排水溝を持つ竪穴式石室が確認され、内部から国内初という、珍しい連弧文縁四獣鏡が出土した。この古墳発掘で一番驚かされたのは、古墳の東側の尾根上で、多数の土抗墓・石棺墓が発見されたことである。これらの墓は、古墳に葬られた首長の下にあった集団構成員の墓と考えられ、古墳時代の一般的な墓制を知る大きな手掛りとなった(1)。
 狼塚4号古墳は、丘陵頂部に築かれた終末期の横穴式石室を持つ円墳で、石室は凡そ神辺町の大坊古墳の二分の一の規模を持ち、その構造も同古墳と等しく、玄室と羨道がほぼ同じ規模を持っていた。このことは、大坊古墳や、新市の大佐山古墳を築いた被葬者の下のランクの首長も終末期の古墳を築いたことを示し、今後の古墳研究の指標となるものであった(2)。
 開発事業によるものの他、一般の郷土史研究団体である備陽史探訪の会が実施した掛迫第6号古墳の測量も注目される調査の一つである。同古墳は古く府中高校の豊元国氏を中心とした掛迫古墳調査団によって発掘調査され、全長46メートルの前方後円墳として報告されてきた(3)。
 ところが、埴輪、葺石など外部施設が無かったため、近年では円墳として紹介されることが多くなった。近年学会で定説化しつつある「前方後円墳体制」では、円墳と前方後円墳では古墳としての位置づけが大きく異なる。そこで、もう少し精密な実測図を作製し、この論争に決着を着けようとしたわけだ。市民を動員しての測量調査の結果、豊元国氏の作成した実測図は極めて正確なものであったことが確認され、合わせて行われた地中レーダーによる探査の結果、円墳よりも前方後円墳の可能性の方が高いことが報告された(4)。
 芦田川の支流、加茂川と服部川に挟まれた丘陵地帯である法成寺は、歴史時代に入っても注目される遺跡を残している。「岡の堂」と呼ばれた古瓦出土地がそれだ。現在門田家の邸内になっている同遺跡からは昭和26年大量の古瓦が出土し、奈良末期から平安期にかけて、ここに何らかの瓦葺の施設があったことが判明した(5)。一般にこの古瓦出土地を「法成寺址」とし、地名の起源に結びつけることが行われるが。地籍上の字名は「古江木」であり、寺院跡より古代山陽道の「駅家」跡とした方がいい。法成寺の地名が史料上で確認できるのは、中世に入ってからであり、「寺」という文字を寺院に結びつけるのはやや早計であろう。
(1)福山市教育委員会「加茂倉田遺跡発掘調査報告書」
(2)同「駅家加茂地区内陸型複合団地造成事業に係る埋蔵文化財発掘調査報告書」
(3)『芸備文化』第5・6号合併号「備後掛迫古墳」
(4)備陽史探訪の会「掛迫第6号古墳測量調査報告書」
(5)『福山市史』上巻

備陽史探訪の会
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