びんご 古城散策・田口義之

◆朝山二子城と楢崎氏
                                    (府中市久佐町) 〈196〉

朝山二子城跡 (府中市久佐町)
 そこは正に備北と備南の境を扼す要塞であった。福山市の中心部から芦田川を遡ること約三十キロ、山間に忽然と開けた別天地、久佐の小盆地の東に屏風のように聳え立つ山がある。戦国時代、備後の国人衆として名を馳せた楢崎氏の居城「朝山二子城」である。
 朝山は元々の山の名前で、世羅郡から府中に通ずる街道の通る峠を挟んで南北に城が築かれたことから二子城の名がある。
 城跡を訪ねるには、先ず城下に建つ禅宗安全寺を目指す。府中から上下に通じる県道24号線を「落合三叉路」で左折、トンネルを抜けると視界がさっと開ける。府中市久佐町だ。駅前で右折し、二つ目の交差点を右折、突き当りに寺の大きな屋根が見える。もうこの辺りまで来れば、正面に城山がぐっと迫り、間違えることはないだろう。安全寺は城主楢崎氏の菩提寺の一つで、境内左手には楢崎氏歴代のものと伝わる宝篋印塔が整然と並んでいる。
 登山口は境内の右手にある。この道は本来の「県道」で、現在の芦田川沿いの県道が開通するまでは昭和20年代まで、世羅府中間を結ぶ主要道として利用されていた。その痕跡は、道沿いに立つ使用されなくなった「電柱」として残っている。
 200メートルほど登ると峠に達する。よく観察すると櫓(或いは番所)や堀切の痕跡を見ることが出来、城がこの峠を押さえるために築かれたことがわかる。
 二子城の城名があるように、山城の遺構は峠を挟んだ南北の山頂に存在するが、しっかりした普請がなされているのは、南の山頂である。北の山頂の曲輪群は南の山頂に築かれた山城の出城として機能したものだろう。
 峠から右手の山道を行くと数分で山頂の城跡に達する。山頂の本丸には神社が祀られ、その背後は10メートル四方の櫓台が存在し、傍らに城主楢崎氏の後裔の方によって建てられた城跡碑が立っている。
 城は、山頂の東西57メートル、南北20メートルのほぼ長方形の主曲輪を中心に北に一段、南に二段の曲輪を築いただけの簡単な構造だが、流石に戦国末期の山城だけあって、そこかしこに注目される遺構が残っている。
 先ずこの城で注目されるのは石垣の多用である。崩れてはいるが主曲輪や、その外の曲輪も切岸は石垣で固められていたようで、その高さは一、五メートル(五尺)を測る。相方城ほどではないが総石垣の城と言って良い。また、畝状竪堀群もよく残っており、この城が永禄、天正年間(16世紀後半)に繰り返し普請が行われたことを物語っている。その他、主曲輪とその南の曲輪には礎石が残っており、当時は相当な規模の礎石建物が存在し、城主の生活の場でもあったことが想像される。

備陽史探訪の会
バックナンバー HOME クラブTOPへ ▲PageTop