びんご 古城散策・田口義之

◆淵上城と木梨氏(2)
                                     (府中市土生町) 〈178〉

渕上城跡主の祈願寺と伝わる法楽寺  (府中市府川町)
 城主木梨氏は、宮氏と並ぶ備後の雄族杉原氏の一族である。『備陽六郡志』外編芦田郡之1、土生村のところに、明王院の舜意上人が筆者(宮原直倁)に書き写して送ってくれた、木梨氏の「遺緒」として次のような記載がある。
 先ず、「平貞盛末葉杉原隼人佐胤平の嫡子木梨又太郎信平次男、杉原又次郎為平、備後国深津郡本庄、福山之麓能満寺、舅甥の因縁あるに依って、文筆渉猟の為、暫く居住なり、尊氏西国下向の節、兄弟共に供奉、建武三年二月、筑前多々良濱に於いて、戦功を抜きんず、尊氏自ら両士の幌に書して曰く、西国一の働き、比類なき者なりと云々、此の時御調郡木梨庄十三箇所而して兄弟に宛がわる。(以下十三か村の名を列記)
建武三年子三月四日御下文、執事武蔵守証文あり、引渡しは建武四年十二月二十四日なり、その後また芦田、品治、両郡の内を領す(以下、渕上城のある土生村を含む十八か村の名を列挙)
 都合三十一ヶ所、木梨杉原領地なり」と木梨氏が杉原氏から出て、足利尊氏に従って手柄を立て、木梨庄などを拝領したことを述べ、次に
「木梨左衛門尉従五位下信平
 建武三年三月四日、木梨村鷲尾山に在城、子孫木梨と号す」と信平から始まる木梨氏の世系を記し、最後に「木梨七左衛門尉経珍 代々土生村淵ノ上に在城す。淵ノ上は窮竟の要介(要害)にて、用水の便よき城地なり」と、淵上城に居城したのは、木梨七左衛門尉経珍という人物であった書き記している。
 木梨氏が淵上城のある土生町を含む府中市南部一帯に勢力を持っていたことは多くの史料(資料)から確認できる。


 一つは、この連載で度々引用する『水野記』に収録された「寛永寺社記」(『広島県史』近世資料編1所収)である。
 関係分の摘記すると、
「府中
豊田山了学院法楽寺 真言宗也
府川村に在り。本尊十一面観音也 長禄二年杉原豊前守康盛建立也、古来寺領三十三貫、天正十六年当地の領主木梨氏没落(下略)
天満天神 (上略)明応五年杉原越中守社領六町五反を寄す(下略)」
「久利加羅村(今栗柄村に作る)
清教山医生院西明寺 (上略)
寺領三十二貫杉原又太郎これを寄す。その後天正十六年これを没収。
南宮大明神並びに神宮寺
(上略)貞和元年杉原又太郎再興。神宮寺は永久四年東寺の観全僧正開基也、古来杉原又太郎社領五十五貫寄す」
「土生村
土生村鎮守祠 (上略)文明四年壬辰年杉原筑後守康経再興、社領三町六反也、天正二十年これを没収」
 これらの記載によると、杉原氏(木梨氏)は府中市栗柄町から芦田川の対岸府川町辺りまで、かなり大きな所領を持ち、それは、南北朝時代から、木梨氏が没落した天正二十年(文禄元【1592】年)に及んでいたことが分る。

備陽史探訪の会
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