びんご 古城散策・田口義之

◆渕上城と木梨氏
                                     (府中市土生町) 〈177〉

渕上城跡  (東方より)
 福山から御調、上下方面に行くには、信号の多い国道486号線を通るより、芦田川の土手道を通る方が便利である。しかも府中市街を素通りするのだったら右岸の方が早い。駅前から神島橋の西詰で右折、石原トンネルを出たところで左折し、更に動物園方面に行かず、すぐ右折し土手道に入る。あとは一本道である。約十五分で尾道市御調町に入る。
 この土手道を御調に行く途中、府中市栗柄町の「扇橋」を過ぎた辺りで、前方左手を注目して欲しい。芦田川にのしかかるように迫ってくる黒々とした丘がある。これが古来より木梨氏の居城として有名な渕上(ふちのがみ)城址だ。
 城跡に登るには、西北の公園として整備された辺りからが便利だ。1、2台なら駐車スペースもある。また、この丘は緑ヶ丘団地として造成された丘陵の東北の突端部にあたり、市体育館辺りに車を置いて、城跡に「下る」かたちで訪ねてもいい。いずれにしても中世城跡としては、見学しやすい環境にある。
 城は芦田川に西南から突き出た丘陵を利用して山城としたもので、備陽史探訪の会が1994年3月に実施した略測調査によると、城郭の構造、及び規模は凡そ次のとおりである(備陽史探訪の会『山城探訪』1995)。
 山頂の主曲輪は、南北24メートル、幅4メートルから6メートルを測る細長い曲輪で、或いはその下に築かれた大規模な(2)の曲輪の背面を守る「土塁」と考えてもいい削平地である。その場合、上部の細長い平坦面には櫓その他の建築物が建っていたものだろう。
 (2)の曲輪はその東北に一段下がって主曲輪に平行して築かれた曲輪で最大長55メートル、幅16メートルを測るこの城最大の平坦地である。ここから下の斜面は急崖で芦田川に落ち込み、まさに「渕上」の城名に相応しい地形と云える。
 (2)の曲輪の南には6メートル切り下げて(3)の曲輪が存在する。規模は20メートルに16メートルの半円形の平坦地である。現在、この下には府中市の「B&G海洋センター」の艇庫が設けられているが、昭和20年代、郷土史家の故高垣敏男氏の作図された図面によると、ここには「二の丸」とよばれる曲輪があり、更にその南には「南の出丸」があったと言う。
 これらの曲輪群の西南側尾根続きは天然の谷を利用した大規模な空堀となっており、その規模は現状で幅10メートル、長さ100メートルに及んでいる。
 注目されるのは、曲輪群の西北斜面に構築された「畝状竪堀群」である。「畝状竪堀群」は戦国時代の中期から後期にかけて盛んに構築された山城の防御施設で、山腹に垂直に何条もの堀切を築くことによって敵の侵入を防いだ。この城の場合、(2)の曲輪の西北斜面に扇条に5条築かれ、その東端には長さ40メートルに達する大規模な竪堀を築き、西北側からの攻撃に備えている。

備陽史探訪の会
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