びんご 古城散策・田口義之

◆矢不立城と宮氏
                                    (神石高原町相度) 〈153〉

冬の矢不立城跡  (手前は神龍湖)   写真中央の山が城跡
 山城と道の関係は、備後北部、帝釈峡一帯の山城にも見ることが出来る。
 名勝「帝釈峡」は、庄原市東城町帝釈を中心とした「上帝釈」、神石高原町相度の犬瀬を中心とした「神龍湖」、帝釈ダムの堰堤から下流の「下帝釈」に分かれる。神龍湖は大正十三年(1924)に完成した帝釈ダムのダム湖で、本来は上流の帝釈地区や下帝釈と同じような渓谷が続いていた。
 この神龍湖に面してそびえているのが矢不立城山である。神龍湖の中心犬瀬から帝釈に続く遊歩道の、「桜橋」を渡ったところに城跡への登り道があり、約十分で山頂の主曲輪へ到着する。
 山頂の主曲輪(本丸)は十メートル四方の平坦地で西北に一段高い櫓台状の土段があり、「矢不立神社」が祀られている。
 本丸から南には尾根に沿って三段の曲輪が築かれ、その下にも半月形の小曲輪が四段ほど残っている。南北七〇メートル、東西四〇メートルばかりの小さな山城跡である。現在、一帯は「矢不立城址公園」として整備され、手軽に山城歩きを楽しめるが、公園化によって破壊された部分も多い。
 この城で注目したいのは、その立地である。現在、城跡は神龍湖に突き出た「岬」の形状となっているが、ダム湖を取り払ったらどうなるだろうか。神石高原町西北の中心地、呉ヶ峠から高光、相度を通って、東城町三坂、更には東城五品ヶ嶽城下に通ずる往還が、帝釈川を渡る渡河点を押さえる、絶好の位置を占めているのである。谷間の道が近世のもので、城があった時代は「尾根道」だったとしてもその重要性に変わりはない。
矢不立城天守閣跡にある速水神社の祠
 西から城の南麓に通じていた古道は、城下で帝釈川を渡り、向かいの尾根に取り付いて、東方の三坂、新免方面に向かっていた。ここを押さえれば、帝釈川の深い峡谷を突破するのは不可能になる。中世の武将が築城地として、いかにも目を付けそうな場所である。或いは、城内の一角に「関所」が設けられ、通行する人や物から「関銭」を徴収していたのかもしれない。現在でこそ周辺は過疎地となっているが、かつては「たたら製鉄」や特産の「備後砂(びごずな)」の産地として大変栄えた地域である。
 城主として、庄三郎元近、同庄野次郎の名を伝えている。
 庄三郎元近について、『西備名区』の著者馬屋原呂平は、元沼隈郡山手村長峰城の城主で備中庄氏の一族としているが、誤りである。
 「庄三郎」の庄は、本来「少輔三郎」と書くのが正しい。読みが同じ「しょう」であるため誤って「庄三郎」と表記され、「庄」が備中庄氏の名字であったことから、元近は庄氏の一族とされてしまったが、本来は宮氏の一族で、「宮少輔三郎元近」と書くのが正しい表記である。

備陽史探訪の会
バックナンバー HOME クラブTOPへ ▲PageTop