びんご 古城散策・田口義之

■一乗山城と渡辺氏 (一)
                                     (福山市熊野町) 〈127〉

福山市熊野町常国寺の境内

 俗に「山田一村皆法華」という。同地の一乗山城の居城し、山田(熊野町)を支配した渡辺氏が熱烈な日蓮宗の信者で、領内の住民を強制的に日蓮宗に改宗させたためだ。
 この地に渡辺氏が入ってきたのは、従来言われていた時期(鎌倉末期)より、よほど新しい。渡辺高の曾孫、渡辺越中守兼が本拠を草戸から山田に移し、一乗山城を築いてからである。それも一般に流布している文明年間(一四六九~八七)ではなく、永正年間(一五〇四~二一)のことである。
 鎌倉末期から南北朝時代にかけて渡辺氏の一流友綱の系統が山田に所領を持っていたとしても、それは一時的なことであった。
 南北朝時代以降、史料で確認できる山田の支配者は、渋川、山名、宮の三氏である。
 渋川氏は足利氏の一族で、渋川義季の娘幸子は足利2代将軍義詮の正妻となり、孫の義行は九州探題に任命され、以後その子孫は戦国時代までその職にあった。
 山田は義季に与えられた恩賞地の一つであったと思われ、子の直頼は観応三年(一三五二)六月、御調別宮、山南郷、福代村と共に嫡子金王丸(義行)に譲っている(渋川文書)。
 渋川氏は戦国時代に至るまで、山南郷(福山市沼隈町)、御調別宮(三原市八幡町)を所領として確保しているが、山田に関してはその後領有した形跡がない。早く手放したのであろう。
 戦国末期の状況を良く伝えている『水野記』所収の「寛永寺社記」によると、室町戦国時代、この地に権益を持ったのは、備後守護山名氏と宮氏であった。

金玉山金持寺
 当国領主宮氏の代寺領一八貫
 を附す。すなわち此の寺に宮 
 氏の石塔あり。
山中山大宮寺
 古来当国領主宮某寺領一八貫 
 之に寄す。
八幡宮
 古来宮氏之を造営す、社領七 
 五貫之に寄す。
双桂山香林寺
 古来山名氏建立、すなわち寺 
 領一八貫を附すなり。此の寺
 に山名氏の石塔在り。

 宮氏が寺領を寄付したという金持寺は、今も金持の観音堂として信仰を集め、その背後には宮氏の石塔と伝える立派な寶篋印塔が現存する。山名氏が建立したという香林寺の寺号も その跡地に築造された「光林寺池」として今も残り、池の奥まったところには、今でも渇水時に山名氏のものと伝える石塔群が姿を現す。

金持観音堂の裏に残る伝宮氏一族の石塔
 宮氏と山名氏がどのような状況で山田を支配したのか、はっきりとした史料はないが、同地が「地頭分」と「領家分」、或いは「半斉」によって守護方と国
方にわかれ、各々山名氏、宮氏によって支配されていたのではなかろうか。
 次回詳しく検討する予定であるが、渡辺氏は山田に入るにあたって、宮修理亮親忠と守護代山内直通の「一行」を公式な権利文書として現地に入部した。「一行」とは、大名が家臣に知行を与えた「知行充行状」のことである。

備陽史探訪の会
バックナンバー HOME クラブTOPへ ▲PageTop 地図はこちらから