びんご 古城散策・田口義之

■神辺城を歩く   (福山市神辺町)            〈083〉

神辺歴史民族資料館

神辺城跡黄葉山に神辺歴史民族資料館が聳えています。

拝殿を飾る額

黄葉山の北麓に鎮座されている「天別豊姫神社」の拝殿を飾る額

神辺城の跡は、黄葉山に残っている。旧山陽道を横尾から神辺に向かって歩くと、近づくにつれて円錐形の山が頭上に迫ってくる。これが黄葉山だ。「紅葉山」とも書く。
 「神辺」の地名はこの山に由来する。古代、人々は「富士山型」の、綺麗な円錐形の山に神様が降臨されると信じた。こうした円錐形の山を「神奈備山」と呼んだ。神辺の黄葉山も古代人の信仰を集めた神奈備山の一つだった。降臨される神様を「アマワケトヨヒメ(天別豊姫)」と言う。海神で、現在黄葉山の北麓に鎮座する神様だ。神辺の地名は、この神奈備(かんなび)から来た。

境内の入り口の大鳥居を潜り、神門より石段を上る。

境内の入り口の大鳥居を潜り、神門より石段を上る。

 黄葉山に登るには、神辺公民館からの道がいいだろう。JR神辺駅前から突き当たって国道を渡り、神辺小学校裏手の道を山に向かって歩くと神辺公民館がある。さらに進むと小さな社の参道に出くわす。登山口はこの神社の境内にある。
 登山道は、細いながら整備されて登りやすい。九十九折れを登っていくと5分くらいで視界が開ける。中腹の伐採された斜面に近づくと、斜面が畝状に10数条にわたって垂直に削られていることに気付く。「畝状竪堀群」だ。この城にこうした施設が設けられていたことが分ったのはごく最近のことだ。以前、城の調査は、山頂の曲輪群を探るのが中心であったが、平成に入って、斜面も調べられるようになり、こうした遺構が注目されるようになった。
 山頂の曲輪群は、標高133㍍の「甲の丸(つめのまる)」から西方向と北方向に連続して築かれている。規模は山頂から西に伸びる曲輪群の方が大きい。何れの曲輪も大きく、城楼を築くに十分な広さである。
 伝承によると、山頂の甲の丸には、福山城に移建された3階建の「神辺一番櫓」2階建の「塩櫓」と「玉櫓」が建っていたと言う。実際ここには古瓦が今でも散らばり、かつて行われた発掘調査で、3期にわたる改築の様子が明らかにされ、最終の福島時代には瓦葺の建物が建っていたことが判明した。

正一位稲荷神社

石段を150ぐらい上った所で石段は左右に別れます。右に進むと正一位稲荷神社。

急な石段

後ろを振り返ると急な石段が見えて身が竦みます。



福山城に移された神辺一番櫓は、今の伏見櫓西南の二の丸に建ち、明治初年の写真で大型の三階櫓であったことが分っている。神辺城の「天守閣」と見て先ず間違いないであろう。
 この城で問題になるのは、最後の姿が「総石垣」の城であったか否かと、山麓部にも城郭があったか否かである。
 現在までに公開されている神辺城の推定復元図は、総石垣のものと、中世以来の土作りの城であったとするものがあるが、最終の姿は「総石垣」の近世的山城であったとするのが正しい。石垣は、現在でも甲の丸の斜面にわずかだが残っている。比較的大きな花崗岩の切石で、現状から推定すると、少なくとも五㍍の高さがなければ、用を為さない位置にある。石垣は、昭和50年代に行われた発掘調査でも確認された。山頂から北に一段下がって鬼門櫓が建っていたとされる曲輪を発掘したところ、山側(甲の丸側)に石垣の根石が確認された。山頂部はほとんど「総石垣」の城であったと考えて良い。福山築城に際して櫓などの建物と共に、石垣まで新たな城に運ばれたのだ。

正一位稲荷神社

正一位稲荷神社、大きな拝殿。その右側には小さな祠がずらっと並んでいます。

神社の近くに大きな溜池

天別豊姫神社と稲荷神社へ参拝して、麓に下りると神社の近くに大きな溜池があり、亀がいっぱい泳いでいました。


協賛企業 キングパーツ株式会社 福山臨床
神辺スポーツセンター

備陽史探訪の会 313eクラブ 協賛広告・会員募集
バックナンバー HOME クラブTOPへ ▲PageTop 地図はこちらから