びんご 古城散策・田口義之

■山野の山城  (福山市山野町)             〈077〉

山野峡の聖岳

田原城のあった山野峡の聖岳 (山野町田原) この聖岳の向側は神石郡です。

福山駅前から車で約50分、福山市山野町は別天地である。先ず「水系」が違う。市内のほとんどは芦田川水系に属しているが、ここは岡山県倉敷市に河口を持つ高梁川水系だ。すなわち、高梁川の支流小田川の上流が町内を流れる山野川である。
 歴史は古い。弥生土器を出す遺跡もあり、古墳も知られている。平安以来、安那郡に属した地域だが、古くは神石郡の一部に含まれた時期もあったらしい。奈良の平城宮跡から出土した木簡の一つに「山野郷川上里」とある。「川上」は神石郡の村名だ。
 中世になると、宮氏の勢力がこの地にも入ってきた。杉宮八幡は暦応二年(1339)宮則氏の創建と伝え、室町時代の応永十五年(1408)には宮氏の有力な一族、宮氏兼が領有していたことが確認できる(山内首藤家文書)。

龍頭の滝の入り口

龍頭の滝の入り口

龍頭山荘

龍頭山荘

龍頭の滝より流れる清流

龍頭の滝より流れる清流

龍頭の滝に近づくと川幅は狭くなる

龍頭の滝に近づくと川幅は狭くなる

宮氏兼は、次郎右衛門尉を称し、後備中守に任官、称光天皇の大嘗会では衛門府の官人として式に奉仕する栄に浴している。
 宮氏の居城と伝えるのが「戸屋ケ丸城」である。この城は、山野盆地の西側に南北に伸びた丘陵の北端に築かれた山城で、山野川が城下を流れ、要害の地を占めている。かつては遺構を残していたようだが、墓地の造成などによって今は見る影もない。
 宮氏は、本拠の奴賀・神石方面から備後南部に進出する中間拠点としてこの地を利用したようだ。町内の大原や高尾に宮氏のものと考えられる室町期の見事な石塔が残っているが、これらの墓石はこの地が宮氏の本拠地の一つであったことを物語っている。
 戸屋ケ丸城のある丘陵の南の突端に築かれたのが辰戸城だ。福山から新七曲トンネルを通って山野に入ると盆地に入る手前で、黒々とした山塊が左手に迫ってくる、これが辰戸城跡だ。

岩屋権現

矢川川沿いに巨大礫があります。これを岩屋権現という。

ほら穴の中に立派な権現さまが祀られている

ほら穴の中に立派な権現さまが祀られている

辰戸城は山野に隠れ住んだ山名氏が築いたと伝えている。すなわち、明徳の乱で敗死した山名氏清の子宮田時清は山野に蟄居し、その子清房が築いたのが辰戸城であるという。清房の子孫は「山野氏」を称し、後に宮氏に仕え、宮氏没落後は山野を棄て、熊野町や鞆に移住した。
 町内にはもう2箇所山城跡が伝わっている。一つは、県立自然公園山野峡の入り口、田原に残る田原城である。この城は、猿鳴峡の名勝「聖嶽」として知られる断崖上に残る城跡で、戦前の報告(史蹟名勝天然記念物報告書)によると、応仁の乱の頃、東軍に属した細川天竺三郎なる人物が居城し、「一の木戸」「二の木戸」などの地名が残っているという。

龍頭の滝の勇ましい山々

龍頭の滝の勇ましい山々

天に昇る滝が地上に玉を吐く姿を形容して名ずけられたと言う滝

天に昇る滝が地上に玉を吐く姿を形容して名ずけられたと言う滝

さらに、ここから渓谷深く入った島串には「串丸城」があったと伝える。
 これらの城は、立地から悪党の「根城」の典型的なものである。いずれの城も付近に可耕地を持たない。また、さして交通の要衝とも思われない。しかし、少数の兵力で守るには格好の地形を占めている。
 悪党は、黒澤明の映画に出てくるような、南北朝から戦国期にかけて活躍した野武士と見て良い。
こうした山城は同じく高梁川の上流、帝釈川周辺にも残っている。この山奥の天険でかつてどんなドラマが展開されたのだろうか…。

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