びんご 古城散策・田口義之
■ 翁山城跡 (府中市上下町上下)                〈025〉
翁山城跡
JR上下駅より上下町のシンボル翁山を望む。
 年の瀬になると話題に上るのが上下町の翁山だ。全山を電飾で飾り、山全体を「クリスマスツリー」にする。福山人なら一度は見てみたい「ツリー」だろう。ところで、この山が戦国時代の山城であったことはあまり知られていない。山頂まで車で登れるので、「ツリー」点燈の時間までに間があったら、是非足をはこんで欲しい。山頂は幅15メートルほどの細長い平坦地で、西端が高くなり鉄塔が建っている。ここが本丸の跡だ。細長い平坦地の東は段々に削平され一部に石垣も残っている。テレビ塔などで遺跡が破壊されているのは残念だ。   
イラストマップ
翁山城跡の頂上にあるイラストマップ 
城跡の広場
城跡の広場。奥の鉄塔の立っている所が本丸の跡 
本丸の跡にはテレビ塔 本丸の跡から東側
本丸の跡にはテレビ塔が立っている。
本丸の跡から東に向かっての広場
翁山城跡から 現在の街並
翁山城跡から下を見下ろす現在の街並のようす。 
 この山が歴史に登場するのはずいぶん古い。一説に「おきな山」の名は、古代大和朝廷の時代、吉備品治国造に任命された「息長日子王」が居館を構えたため、その名が付いたという。「息長日子王」は有名な神功皇后の弟だ。時代は下って南北朝時代の暦応3年(1340)、上下村の地頭職に補任された長谷部信吉がこの山に築城して、以後歴代長谷部(後に略して「長」氏を称す)氏が居城し、近隣に威を振るった。歴代城主の中でも、戦国時代に活躍した長大蔵左衛門尉元信は剛勇の士であった。天文23年の折敷畑の合戦では、陶晴賢の配下速水右近を討ち取り、尼子との「馬潟原の合戦」では、尼子の部将馬田・河添の両将を打ち伏せ「首」をあげた。
善昌寺
鎌倉時代からある善昌寺。 
善昌寺の本堂
大きく立派な善昌寺の本堂 
 領内の政治にも意欲的に取り組み、上下八幡社、城下の禅宗善昌寺を再建したのは元信であった。善昌寺は鎌倉時代、長氏の前の上下村地頭職であった斉藤美作守景宗が創建した臨済宗の名刹で、室町時代には備後に6箇寺しかなかった「諸山」の寺格を持ち、大いに栄えた寺だ。有名な本堂の鴬張りの廊下は元信が再建したものである。だがこの長氏の治世も約260年で終わりを告げた。長氏は戦国時代の天文年間から安芸の毛利氏に従ったが、慶長5年の関が原合戦で毛利氏が敗れたため、上下を去り、翁山城も廃城となってしまった。
上下駅 駅周辺
上下駅 
駅周辺のようす。 
翁山
もう一度ズームで翁山を眺めました.。  地図はこちら
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