びんご 古城散策・田口義之
大可島城跡 (福山市鞆町)                   〈023〉
大可島城跡
常夜燈より大可島城跡を望む
 潮待ちの港、鞆。この地も中世の幕開けとともに度々、争乱の港となった。
 初めに史上に現れるのは、源平の内乱だ。『源平盛衰記』によると、平家に味方した備後の怒可入道西寂(ぬかのにゅうどうせいじゃく〉は、この地で伊予の河野通信に捕らえられ、伊予に送られて首を切られた。平家方として屋島の合戦で討死した鞆六郎の名も伝わっている。南北朝の内乱でも武将たちの争奪の的となった。中でも康永元年(1342)5月の大可島〈たいがしま〉の合戦は太平記にも出てくる有名なものだ。当時、南北両朝の戦いの焦点は伊予(愛媛県)の川之江城であった。そのため、鞆の沖合は、攻める北朝方と、そうはさせじと救援に赴く南朝方の軍船との間で激しい海戦が行われた。ところが、この海戦は突然の南風によって意外な展開を見せた。南朝方の軍船は川之江城を救援するどころか、突風によって北朝方の拠点、鞆に吹き寄せられてしまった。鞆に上陸した南朝方は大可島に立てこもり、積極的に鞆の占領を企てた。何しろ鞆は当時、瀬戸内海屈指の港町として繁栄を極めていた。占領できればそれにこしたことはない。しかし、それは北朝方でも同様だ。ここに『太平記』のいう「鞆軍(ともいくさ)」の開幕となった。   
石段 円福寺の案内板
鞆港の北側(市営駐車場)より石垣の間にある石段を登る。
登る途中、城跡にある円福寺の案内板があります。 
真言宗円福寺
石段を登りきるとそこは城跡です。現在は真言宗円福寺が堂々として、人々をお迎えしています。
境内 鳥居
境内は広く東西南北がよく見渡せます

魚港町から登る処には鳥居があり,一般の方はここから上ります.。
漁船 港風景
漁船の港風景
 戦いは、北朝方に凱歌が上がった。大可島にこもる南朝方に対し、北朝方は北方の小松寺に本陣を置き、攻防十余日、南朝方は伊予に逃げ去った。
 大可島は、古くは「鯛が島」とも書く。現在は陸続きとなり、真言宗円福寺の境内となっているが、かつてはその名の通り島で、中世を通じて城塞として利用された。
 この合戦の後には、足利尊氏の庶長子で中国探題に任ぜられた足利直冬が一時この城に居住し、戦国時代になると、海賊衆として有名な村上氏の一族が居城して、一帯の海上を支配し。また、幕末風雲の時代、この地には福山藩の砲台が置かれ、沖行く「黒船」を監視したという。正に歴史の島だ。
沖の方を眺めると 弁天島
沖の方を眺めると一隻の船が瀬戸内海へと進んでいます。
ここで沖行く「黒船」を監視したのだということです。
仙酔島の手前の弁天島です。
いつ見ても美しい姿をしています。


南西の風景 芭蕉の句碑
大可島から見る南西の風景。 常夜燈が毎日鞆の港を守っています。
地図はこちら
境内の古松には芭蕉の句碑が飾られています。
「疑うな うし保のはなも 浦の春」芭蕉
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