びんご 古城散策・田口義之
蔵王山城跡 (福山市千田町)         〈020〉
蔵王山城跡
蔵王小学校付近から蔵王山を望む。 蔵王山へ登るのは東側より登りました。    
西側の広場より登ると足元が少しは優しいようです。
 春の花見や秋の紅葉狩りで福山市民に親しまれている蔵王山も戦国時代の山城跡の一つである。私事になるが、私が歴史、特に郷土史に興味を持つようになったのはこの城跡のお陰?である。中学生の頃のことだが、ある日学校の図書室で本を見ていると、「備陽六郡志」という古めかしい本があり、開いてみると「千田村 古城一カ所平賀安芸守」の文字が目に飛び込んできた。「ええー、千田にお城があったの。」それまで城と言えば福山城や姫路城しか頭になかった私は、こんな身近な所に城跡があるのを知り、新鮮な驚きを覚えた。これが私の「郷土史開眼」である。   
猿田彦神社の鳥居 急な坂道
猿田彦神社の鳥居
急な坂道ですが割と整備されています
しかし、登り初めだけ、後は大変険しい石ころ道。油断は禁物。途中で振り返ると
オウ!!恐い。自然と手が草木を握り締める。
 蔵王山に登ってみると、山頂に200坪ほどの平地があり、南に段々に均された部分がある。これが戦国時代の山城の跡である。以前は崩れ残った石垣もあったそうだが、今ではほとんど見ることが出来ない。城主と伝わる平賀隆宗は、戦国時代安芸の国高屋保、現在の東広島市東部に勢力を持った武将で、本来はこの地域とは縁もゆかりもない人物である。それが何故蔵王山に城を築いたかというと、神辺城を攻めるためである。天文年間、福山地方は神辺城をめぐって尼子・大内が激しく争った。この時、隆宗は大内方の武将として尼子方の神辺城を攻めたのである。蔵王山の山頂に立って北を眺めると、神辺城跡の本丸が眼下に見える。
かなり広い平地 頂上
40分位で頂上へ到着。かなり広い平地。東西南北見晴らしは素晴らしい。
本丸からの眺め
城主はこの本丸のある所より神辺城を見下ろしていたのでしょう。
発展している街並 日本鋼管から笠岡沖
東を見れば発展している街並が良く見えます。南を見れば日本鋼管から笠岡沖まで・・・・
猿田彦神社
蔵王山頂上から降りる途中、猿田彦神社にお参りしました。立派な御社です。
お供えもきちんとしてあり感動しました。
猿田彦神社の横の姿 石鎚神社
猿田彦神社の横の姿です。



      
石鎚神社です。岩の中にあり祠は岩より掛け出しをしてありました。石鎚神社へも青々としたお花が供えられており、信仰心の熱いお方に敬意を改めて感じました。         
 隆宗はここに砦を築き、神辺城の糧道を絶ち、激しく攻め立てた。神辺城が落城したのは、天文18年【1549】の9月のことである。
 また、蔵王山は、古代の謎の山城「茨城」に推定されていることでも知られている。茨城は古代大和朝廷が唐・新羅の連合軍に対処するために築いた古代山城で、この山には「地王山」という山頂から西南の、今は山麓に下りている医王寺の旧跡と伝わる場所で奈良時代の瓦が発見されており、茨城跡の可能性が主張されている。古代・中世のロマンを秘めた山、それが蔵王山である。
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