びんご 古城散策・田口義之
利鎌山城跡 (福山市芦田町福田)      〈019〉
利鎌山城跡
利鎌山(とかまやま)城跡を望む。のどかな風景です。
 福山市芦田町に、利鎌山城と呼ばれる戦国時代の山城跡がある。福田の八幡神社の南の山で、山頂には削平された曲輪の跡や堀切、竪堀などの遺構が累々と残っている。だが、今は全山荒れ果てて、登る道さえ定かでない。この城には戦いで倒れた城主の妻の勇壮な話が伝わっている。
 乱世は、女性達を否応なく、戦に巻き込んだ。時には、自ら武器を取って戦わなければならなかった。弘冶元年【1555】三月、東の信濃の国では、有名な武田信玄と上杉謙信の、「川中島の合戦」の幕が開けようとしていた頃のことだ。ここ備後国芦田郡福田の里【現福山市芦田町福田】でも、在地の武将達の雌雄を賭けた決戦が始まろうとしていた。当時、この辺り一帯には、福田利鎌山城を居城とする福田氏と、隣の有地郷を本拠とした有地氏がいて、互いに覇を競っていた。   
亀山八幡神社の大鳥居 本殿
利鎌山城の麓にある、亀山八幡神社の大鳥居明治33年に立替えられている。
石段を沢山登ってやっと本殿にたどり着きます。
    
 戦いは、有地氏の攻撃で始まった。有地方は兵を二手に分け、一手を城の大手門めがけて突撃させた。これに対して城方も城門を開いて決戦を挑んだ。城主自ら手勢を率いて有地勢の中に突進して行った。一時、戦いは福田方有利に運ぶかと思われた。ところが、これは有地方の策略だった。有地方は福田方が城を打ってでたのを見透かして、城の背後に伏せていた別働隊を、城内に突入させた。
 有地勢の侵入に城方は慌てふためいた。城方の主力はほとんど出払っていて、城内はほとんど無人の状態だった。この時だ。城内に侵入した有地勢に対して敢然と戦いを挑む女が現れたのは…。見れば振り乱した頭に鉢巻きを締め、手には長刀【なぎなた】を持っている。城主福田遠江守夫人の勇壮な武者姿であった。
 突然の女武者の出現に有地方は一瞬たじろいだ。しかし、そこは百戦錬磨の有地勢だ。一人が女と切り結んでいる間に、別の武者が女の後ろから切りかかった。不意を突かれたのだからたまらない。女はあえなく討ち取られてしまった。城が有地氏の手に落ちたのは言うまでもない【西備名区より】。
亀山八幡神社の本殿より 本殿の三方を立派な絵馬
亀山八幡神社の本殿より福田の集落を望む
本殿の三方を立派な絵馬で飾ってあります。
彼岸花
一年に一度だけ咲き誇る彼岸花
福性院 福性院の本殿
利鎌山城の菩提寺、福性院(真言宗)
       
福性院の本殿(築200年前に建替えられたもの)
二重塔 いぼの神様
この建物も本堂と同じ時期に建てられたもの、二重塔
いぼの神様
        
(地元の人から聞いた話)
今から50年前は城山の中心に大きな大きな松の木が有り、山へ山菜を採りに行かれていたそうです。城跡の近くに池があり、そこへ大蛇が水をのみに出ていたそうです。叉白蛇もいたそうです。今は松の木は枯れてしまい、山へ行くことは難しいとのことです。
 城跡の北麓、「福田地(ふくでんじ)」と呼ばれるところには、城主福田氏の菩提寺と伝わる福性院があり、近くには福田一族のものと伝わる五輪塔群が苔むして残っている。この中に、あの福田遠江守夫人の墓石もあるのだろうか…。
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