びんご 古城散策・田口義之
近江城跡 (福山市駅家町 上山守)     〈008〉
近江城跡

 福山の中心部から芦田川をさかのぼること約八キロ、駅家町上山守にも中世前期の面影を残した山城の跡がある。在地の土豪光成一族が築いたと伝える近江城跡だ。
 国道二号線を神島橋西詰めで右折し、芦田川の土手を車で走り、新しくできた石原隋道を抜けると左手に上山守の集落が見えてくる。その集落に南の石鎚山山塊から鳥のくちばしのような低い丘陵が芦田川に向かって伸びている。これが近江城跡だ。   

登り口 金剛寺
【城跡の登り口】金剛寺の門を潜りたくさんの地蔵さんに迎えられ
          本堂に向かいます。
金剛寺七福神 急な坂道
金剛寺七福神様前を通り、近江城跡へと進みます。とても急な坂道です。
  
 東麓の、光成氏との関係を伝える金剛寺から登っていくと、右手に出丸が切り立った山肌を見せ、さらに登っていくと出丸と山頂の本丸を遮断する堀切跡に出る。ここで道を右手にとると出丸、左に進めば山頂本丸だ。比高五十メートルほどの丘陵だが、さすがに本丸への道は険しく、ここが城塞の跡であることを実感できる。
 山頂本丸は径15メートルほどの円形の平坦地で、北から東を回って南に、一段低く細長い平坦地が取り巻いていることがわかる。中世の山城跡でよく見かける「帯郭」(おびぐるわ)の跡だ。さらに南の尾根続きを歩くと鞍部に人工的な窪みが見られる。尾根続きからの敵の侵入を防ぐ「堀切」の跡だ。

本丸跡 近江城跡の石碑
一端登りきったところで、左の道へ。本丸の跡に向かいます。近江城跡の石碑があります
周りの樹木 駅家町
周りは樹木が茂っており薄暗い。木々の小枝を折って遥か向こうに駅家町が見える。
 近江城跡は、このように平坦地(郭の跡)と堀切(人工的な窪み)という、中世山城としては必要最小限の施設しか持たない原始的な城跡だが、地誌をひもとくと、そこには中世を生き抜いた土豪の秘められた歴史が刻み込まれていることがわかる。
 『西備名区』などは、この城は鎌倉末期の戦乱の中で築かれたと伝えている。有名な元弘の変で、在地の土豪、光成新三郎はこの城を築き、後醍醐天皇方として備後で挙兵した桜山四郎入道に味方して戦ったという。
 この伝えのほかに光成新三郎の活躍を伝える史料は何もないが、残された城跡は時代を雄弁に物語っている。低い丘の上に築かれていること、簡単な郭と堀切…。これらは伝承通り鎌倉末期の初期山城の様相を示している。限られた史料しかない時代、山城は当時の情報を伝えてくれる貴重な文化財である。
石碑 城跡の周辺
城跡
  【感想】本丸を後にして出丸の堀切りへ戻り、しばし昔を偲びました。ここで昔の女性はどんなことを感じておられたのかしら?・・・・・   
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