古城散策・田口義之
的場山城跡 (福山市瀬戸町長和)      〈006〉
的場山城跡
南から見た的場山城跡
 
 福山の中心部から西に、芦田川を渡った所に位置する瀬戸町、ここにも初期武士団の痕跡が残っている。国道2号線を神島町で左に折れると、正面に低い丘陵地帯が迫ってくる。現在は明王台団地として開発されたこの丘陵も、県道に沿って西に回るとまだまだ昔ながらの姿をとどめている。長和郵便局の辺りから山際に入ると、山麓に沿って旧道が南に続き、しばらく歩くと右に舌状に延びた丘が目につく。これが、市内で最も古い山城の一つ、的場山城跡だ。   

山の頂上 的場山城跡にある神社
本丸の跡 神社がありました
 
 明王台団地のある丘陵地は、東西の標高100b余りのピークを起点にして南側に広がっているが、城はその西側のピークから西南に延びた尾根筋を堀切で画し、先端を段々に削平して築かれたもので、市街地近郊の山城跡としてはよく遺構を残している。この城跡で特に注目されるのは尾根先端部に残る広大な平坦地。現在果樹園として利用されていが立地、広さといい、まさに城主の居館の跡だ。
神社
西側からみた神社
 
 鎌倉時代、地頭として各地に入って来た武士の本拠は、低い丘の上に築かれた。これを歴史家は「土居形式の山城」と呼ぶが、的場山城のこの一角こそ、その典型的な例といえる。背後の山頂に残る本丸の跡は、この山城が以後長く利用されたことを示す貴重な遺構だ。山城の歴史は、鎌倉時代の土居城から次第に高い山頂に築かれた本格的な山城へと発展していく。つまり、この城の場合、その進化の跡を、高度を隔てて同時に見ることができるわけだ。
江戸時代の文献によると、吉備海部直の後裔と称する長和弾正左衛門友宗が平安末期に築き、平家に味方して、1185年の屋島の合戦で討ち死にしたと伝える。一帯は中世の荘園とし有名な長和荘の中心部にあたる。同荘には鎌倉時代、関東から長井氏が地頭して入り、以後室町時代まで長井氏の支配下にあったから、長井氏の時代にも城塞として使われたはずだ。

的場山城跡の館跡に残る中世の宝筐印塔残欠 入口
的場山城跡の館跡に残る中世の
宝筐印塔残欠
(写真の一部は田口義之先生にご協力いただきました)
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