古城散策・田口義之
大場山城跡(福山市本郷町)           〈003〉
大場山城を望む
本郷川 川畔より大場山城跡を望む
 
 国道2号線を松永で右折し、本郷川の流れに沿って北に向かうと、正面左手に、山頂を平らにした険しい山が迫ってくる。備後古志氏の居城「大場山城」の跡だ。
 私が始めてこの山に登ったのは忘れもしない昭和47年の冬のことだ。当時、郷土の歴史に関心を持ち始めていた私は、数人の友人と共に自転車を西に走らせ、この山を目指した。現在、地元の人のボランティアで道が整備されて登りやすくなっているが、当時は荒れ果てて、山は狐狸の住処となっていた。
 息せき切って登っていくと、やがて視界が開け、城跡にたどり着いた。戦後の開墾の名残が其処ここに残り、意外に広い。私たちは早速、買ったばかりの巻尺で城跡の測量を始めた。持参したノートに図を書き込んでいくと、次第に城跡の全貌が明らかになっていく。

大場山城の地図
大場山城跡は府中から松永に至る県道48号線沿い本郷地区にある
本丸跡
本丸の跡 当時の偉容がしのばれる

 本丸は東西80メートルの東西に細長い平地で、西端には高さ3メートルの土塁が見られ、北から東に1段下がって幅5メートルの「帯曲輪」、しかも本丸の北側には、城門の跡と思われる窪みがあるではないか。私たちは新たな「発見」で興奮してきた。其の時だ、冬の空がにわかに曇り、吹雪に見舞われたのは…。
二の丸
本丸から二の丸を眺望する
 
 今でもその時の光景が昨日のように目に浮かぶのは、それが私の中で城主古志氏の悲惨な末路と重なって思い出されるためだ。
 城主古志氏は、この城に拠って戦国100年を必死で生き抜こうとした。尼子の勢力が大きくなれば尼子に従い、大内氏が力を振るえば大内に味方した。そして、隣の安芸の国で毛利元就が頭角を現すと毛利に帰属した。だが、古志氏は決して心から強者に従ったわけではない。誰から与えられたわけでもない、先祖代々の領地を持つ「国人」として、やむを得ず毛利に従っただけのことだ。心の中では独立自尊の「国人」のプライドをしっかり持っていた。ところが、この「国人」の誇りが古志氏を滅ぼした。時代は天下統一の近世を向かえ、中世的な国人は権力者にとって邪魔な存在と化していた。
 文禄元年(1592)、「謀反」という身に覚えのない咎によって、最後の城主古志清左衛門は毛利氏に殺され、一族離散の運命をたどった。

案内板
城跡への登山口にある案内板(写真・田口義之先生提供)
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