古城散策・田口義之
相方城跡(福山市新市町相方)          〈002〉
相方城跡
相方(さがた)城跡を西北(府中)側から望む、左側テレビ塔の辺りが城山
 
胸を突くような急坂を約二十分、汗を流しながら登ると突然視界が開け、白い自動車道にぶつかる。この道をさらに約十分、行きつく所に相方城跡がある。現在は城跡西方に住宅団地と工業団地が造成され、突き当たったところにこの道がある。テレビ塔の林立する山頂に近づくと木々の間に白い石垣が見え隠れし、山頂に立てば府中から神辺まで一望のもとである。

新市工業団地 看板
新市工業団地の北端を更に登ると「相方城跡」の標識が・・・

 私は、初めてこの城跡を訪れた時の感激を今でも忘れることが出来ない。友人と二人で、おい新市に戦国時代の山城があるそうじゃけえ、行ってみようや“と自転車で芦田川の土手を新市町相方まで行き、夏のせみしぐれの中、「ふうふう」言いながら山頂を目指した。
 城跡に立った時、その見事な石垣には圧倒された。高さ三〜五メートルの石垣が延々と続き、城門の跡もはっきりと残っている。城内に入る石段に立つと、今にも戦国武者が現れるかと、一瞬ドキっとしたものだ。

急坂
急坂を登ると・・・
テレビ塔
山上にテレビ塔が・・・
テレビ塔 石垣
山頂に近づくにつれ、複数のテレビ塔 そして遂に石垣が見えた
 
 芦田川を天然の濠として標高200メートルの山頂に、当時の築城術の枠を集めて築城されたのが相方城であった。丁度、東ではあの織田信長が安土城を築いていたころだ。
 戦国百年の間に、築城術は目覚しい発達を見せた。初め土と丸太で築かれていた山城も、このころになると石垣を築き、白壁瓦茸の櫓をあげた本格的な城郭へと変わっていった。

郭跡
やがて郭跡(標高180メートル)の広場へ到着
天守及び副郭
広場から天守及び副郭を望む
石稜のレプリカ
天守(主郭)跡に石積のレプリカ

この当時最新といえる山城を築いたのは、芦田町一帯を本拠とした豪族有地氏の3代目有地民部少輔元盛であった。彼は数ある戦国武将の中でも知勇兼備の勇将として知られ、播州合戦では毛利の旗下として後の豊臣秀吉と槍を合わせ、備前八浜の合戦では宇喜多の勇将宇喜多与太郎を討ち取った(現に首塚が相方に残っている)。しかし、時代は大きく動き、天下を統一した太閤秀吉の”山城廃止令≠ノよって、せっかく築いた相方城を自ら破壊し、さらには慶長5年の関が原合戦後、毛利に従った元盛は剃髪して日栄と号し、山口の本圀寺に静かな余生を送った。いわば、相方城は戦国最後を飾った”あだ花“といえる。
府中市街 新市町
天守(主郭)跡から北西に府中市街 北東に新市町を望む
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