第167回     

  
 山肌に刻まれた記憶

現地で説明を受ける参加者。

 神辺は、歴史の集積地である。表層一枚はがせば、その下には連綿と続く人々の暮らしが折り重なっている。
 2011年8月6日、神辺町東中条において、「池之坊墳墓群」の発掘調査報告会があった。
 粟根神辺線を池之坊池の所で右へ折れ、しばらく行くと、土砂採取場がある。そこの臨時駐車場から採取場を通り南の丘陵へと歩く。尾根は切り崩され、目の前には真砂土の絶壁が聳えている。白っぽい砂の谷に迷いこんだような気分だ。頂上へと作られた急坂を息をはずませながら登っていく。
 紺碧な空に丸く盛りあがった頂上部分まで上りつめると、突然、視界が開けた。
 南方になだらかに山の地肌が流れ、さらに下方に濃い緑が続く。遠く神辺の街が広がっている。
 そして、今まさに、足元に広がっているのは、山肌に刻まれた2000年以上前の記憶であった。
 山肌に穿たれた69基の墓。それらが何を語ってくれるのか、当日は炎天下の中、150人を超える見学者が詰め掛けた。
 
 消えゆく遺跡

古墳の丘を歩きながら見学する参加者たち。
 
 丘陵の頂上には、弥生時代中期の墳墓が大きさも向きもばらばらに折り重なるように残されていた。古い時代の墳墓の上に、新しいそれが作られているためだ。
 少し南側には、時代の下った墳墓が、ある程度の秩序を保って残されている。
 さらに尾根を下ると、その先には、石棺墓があり、初期の古墳である。集団墓から古墳へ。社会経済も集団のあり方も埋葬のしかたも、時を経るごとに移ろっていく。およそ300年ほどの時間の流れが、視野に入る範囲にあるのが、なんとも不思議な感覚であった。
 今回の発掘での出土物は槍鉋など小片のみで、マスコミの扱いは大きなものでなかったようでだ。しかし、これまでに周辺では、ほぼ完全な形の斜縁獣帯鏡や鉄剣など出土している。2002年から開始された池之坊墳墓群は、A~C地点、及び第一~三号古墳のすべてをもって評価する必要がある。そこから読み取れる歴史の推移は、今後の研究にも多いに価値あるものになるのではないだろうか。
 このたび調査報告がされたA地点は、調査終了後は真砂土採取のため、跡形もなくなってしまう。
 無数に存在する古墳をそのまま保存しておくのは無理な話であろう。取り壊すが故に、発掘調査される古墳や墳墓の方が多いのも確かだろう。しかし、こういう文化遺産の破壊は、古墳に限った話ではあるまい。
 地域の発展のためには文化遺産といえど破壊も止む無しだ。しかし、だからこそ、本当に必要なのかどうか、代替案はないものか、とことん突き詰めて考える必要があるのではないだろうか。破壊したものは二度と再生することはない。
 見学者はそれぞれの思いを胸に、2000年前の記憶に別れを告げた。



備陽史探訪の会
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