第165回     備後の四ツ堂(47)

  
 神石高原町  父木野郷「十二薬師堂」

バス停として利用されていた十二薬師堂。

 神石郡神石高原町は2004年に、神石郡油木町、神石町、豊松村、三和町が合併してできた町である。父木野のある旧三和町には、昭和60年の調査で、73の堂宇が報告されている。内父木野には18宇が存在する。
 今回紹介するのは、父木野でもっとも目にしやすいであろう「十二薬師堂」である。
 新市の神谷川沿いを走る県道を北上し、藤尾を抜けると、そこはもう父木野郷である。法雲寺を過ぎ、緩やかな上り坂を登った先、カーブの手前にその堂は建つ。江村バス停の場所なので、すぐにわかる。
 前方入母屋後方切妻造、天井張り。備後北部では、よく見かける形式である。
 須弥壇に安置されているのは、十二神将、石地蔵一体、本尊である木像薬師如来座像である。石地蔵は二十番の字が読めるので、霊場巡りの石仏であろう。薬師如来を守護するとされる十二神将はいずれも欠損が激しく、経てきた歳月の膨大さをその身に刻んでいるかのようだ。
 
 

傷みが激しいが薬師如来と守護する十二神将が祀られている。
 
 本尊の薬師如来像もまた、顔に亀裂が入り、労しい姿である。この仏像は、室町時代(1400~1500)の名のある仏師の作と謂われている。説明板にある「慈顔」の様子はわかりにくいが、流麗な衣紋や全体に漂う精緻な彫りなど、かつて慈愛に溢れた美しい像であっただろうことは頷ける。
 一時期の骨董ブームで辻堂から盗まれた仏像もままあると聞く。その難を逃れたのは、顔に入った亀裂のせいか、制作者の確たる証がなかったせいか、はたまた十二神将の守りの堅さゆえか。何にせよ、南北朝の動乱期から、この地の人々の救いとなった薬師如来が、今もそこに在り続けていることは、喜ばしいことである。
 心の眼で見れば、慈悲深い薬師如来の御姿と、脇に控える雄雄しい十二神将の鮮やかな姿が、須弥壇にくっきりと浮かびあがってくる。
 



備陽史探訪の会
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