第160回     備後の四ツ堂(45)

  
 神石高原町時安  久留美「備後薬師堂」

小詞の向こうが四ツ堂である。この道を少し下り、左方面に吉岡家が見える。

 『三和町誌』によると、昭和60年の調査において、旧三和町時安地区には13宇の四ツ堂が報告されている。時安久留美の里にも2宇あると云う。そのうちのひとつは、亥の平の代官所跡の水田を右手に見下ろしながら急坂を登って行った先にある。
 堂の創建・由来については、多くの堂がそうであるように不詳である。宝形造トタン葺きの堂は50数年前に再建されたと町誌にあるが、堂内には昭和53年に町道改良のため、この地の敷地を整備し御堂を移転したという記録が残されていた。
 敷地内には小社も祀られており、同時期に移されてきたものだろうか。少々窮屈そうではあるが、どちらもきちんと残されているのだから、ありがたいことだ。
 堂の屋根葺き替えの寄付板には「備後薬師堂」とある。ご本尊は薬師如来座像だが、表面は剥落し両腕も紛失している。須屋の中に座している姿は、少々痛ましくもある。久留美の里の穏やかで美しい風景の中で、四ツ堂もまたすんなりと溶け込んでいるのに、本尊の傷み具合がいささか惜しい心持もする。
 
 

水田下の石垣、よく見ると中央部分の石積みが異なる。
かつて代官所の門があった場所だという。
 
 この堂にまつわる伝説というのもまた、この地にふさわしいのである。それは、『この堂は「桜堂」とも呼ばれ、いつごろか「来て見れば乱れし時も安らけく尚も久しく留むる美観」という歌が掲げられていて、それが久留美という地名となったという』伝説があるそうだ。もちろん今は、そういう歌は掲げられていない。ただ、前回の―久留美の里―でも述べたように、非常に古くからの里であり、長い歴史の中、楠氏や水野勝成など、多くの旅人が通った道である。乱世においても変わらず稲穂が風に揺れ、山は碧く輝いている美しさは、たとえようもなかったに違いない。
 移転前、この堂がどこにあったかはわからないが、里を見渡せる桜の下にでもあったのだろうか。
 真に久留美の里は、ひと足ごとに、ひと目ごとに、ロマンをかき立てられる地である。



備陽史探訪の会
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