第155回     

  
 蘇る神村城跡

神村城跡の本丸に建てられた石碑。

 今や日本人の原風景と言えるほど、馴染み深い桜。これほど、日本人の魂に寄り添う花はあるまい。
 グリーンラインの桜の植樹に参加させていただいてから、毎年苗木が育っていく様子を楽しみにしていたが、3年ほどしてやっと花をつけてくれた。まだ幼い木であるが、五十年、百年先を思うと、世代を繋いでいくことの大切さを実感する。大樹になれば、いつの日か桜の名所となり、人々が集ってくるだろう。
 2011年の春、そういう希望を抱かせる場所がまたひとつ増えた。
 福山市神村町に位置する神村城跡である。
 一月、「埋もれた史跡に光を当て、後世に伝える」ため、地域有志により城郭跡に石碑が建立された。登山道を整備し、周辺の雑木を切り、山の頂に現れた曲輪跡。そこに、二月、桜の植樹がされた。
 折りしも、植樹の日に、神村城を訪れる幸運を得た。
 神村町の旧国道2号線を西へ向っていくと、左手にヤクルトの工場が見えてきた。その踏み切りを渡り、道なりに進んでいくとバイパスの高架をくぐり下池の土手沿いに出る。池のほとり、登山道が見える山が神村城である。

 
 桜の曲輪へ

2011年の植樹の風景。
 
 神村城は、明応年中(1492~1501)室町時代に野気沼重春によって築かれたという。野気沼氏が去った後に城主となったのが石井氏である。石井氏については諸説あるが、『西備名区』では古志氏の家臣であったとされる。
 神村は、京都石清水八幡宮の荘園「神村庄」であったが、室町末期には支配が後退。隣接する新庄本郷の国人・古志氏の勢力が及んできた。神村城には、古志氏の家臣である石井氏を据え、東の境目の城として利用していたという。
 神村城は竜王山から北に伸びた尾根のひとつを利用して築かれた山城で、山頂の主郭を中心として南北へ曲輪が伸びている。室町~戦国時代の山城だが、現在も空堀跡や石積みなど城跡の特徴をよく残している。今後の整備で尾根下の井戸や祠も見れるようになるそうだ。
 城主の眠る石井氏歴代の墓所や「阿良(やや)」伝説など、長い歴史を紡いできた土地には、多くの遺物と逸話が残されてる。それらを忘れられた過去にするか、伝えるべき財産と見なすかは、そこに暮らす人々の心意気にかかっているだろう。
 下池の開けた清清しい景色を眼下に、山の西側斜面の柔らかな道を踏みしめて登っていく。山の東側を通る林道を目前に、神村城跡の立て札を左へ折れ、さらに160mの急坂を登る。
 頂上まで登ると、一気に視界が開け、町並を一望できる。本丸には「神村城跡」の真新しい石碑と桜。今はまだ苗木であるが、三年もすれば可憐な花をつけ、十年もすれば立派な桜の曲輪となるだろう。地元を愛し育てる人々の祈りに応えるように、この先、美しい花を咲かせていくに違いない。



備陽史探訪の会
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