第153回     備後の四ツ堂(42)

  
 世羅郡世羅町長田  横坂「輪田地蔵堂」

世羅の辻堂は、福山の四ツ堂とは若干造りが異なる。
この堂は比較的福山のものと似ている。

 ひと口に備後と言っても広い。南の沿岸部から世羅や庄原・三次も備後である。備後に多いと言われる辻堂は世羅郡にもまた多く見られる。とはいえ、福山領ではなかったので、ふ福山藩の四ツ堂とは少し意味合いが違うかもしれない。
 『世羅西町誌』によれば、辻堂の起源は詳らかではないが、「古寺院廃絶の遺仏を勧請したもの」「信者が祈願によって建立したもの」「故人の菩提供養のために建立したもの」の三つに分けられるとある。明らかに福山圏内の捉え方とは異なる。
 しかし、その機能となると「集会や行事の会場」「宗教信仰の場」「霊場として」など、現在の福山周辺の四ツ堂と同じようである。他にも、「農民の物々交換の場」として、余剰した野菜を辻堂の床に並べておくと、誰でも持ち帰ることができた。「旅人の休憩所」として休んだ後に、代金を竹筒に入れ、軒下に吊るしてある草履やわらじをもらい旅を続けたともある。おそらく福山周辺でも、辻堂としての機能は同じであったろう。近代においても農村風景が激変しなかったため、よりリアルな辻堂の記憶が残されていたのだろうか。興味深いことである。
 
 

本尊の石仏。
 
 さて、昭和58年に世羅西町教育委員会で行った調査では、69宇の辻堂が確認されている。このたび長田篠村地区の弘治2年(1556)建立の郷西堂を探しに行ったのだが、見つけることができなかった。写真は長田横坂地区県道56号線沿いの「輪田地蔵堂」である。文化9年(1812)再建・昭和5年に移転再建されている。
 西世羅では、地域の人の手により立派な堂宇が再建されているが、県道拡張工事で移転した堂宇は、簡素でみすぼらしいものが多いようだ。輪田地蔵堂もその例に漏れずと言ったところだろうか。実に味わいのある座像のお地蔵様なのであるが、今は参る人も絶えているのだろう。
 道路工事中の激しい振動の中、じっと座したまま、地蔵様は新しい時代に何を見つめているのだろうか。 



備陽史探訪の会
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