第148回     

  
 整備が進む砂留群

淀ケ池、六番砂留の上流にある。東砂留には、この池の北側の道から入る。

 神辺町堂々川の砂留が登録文化財になったのは、平成18年(2006)のことである。それをきっかけに地元の有志が手弁当で砂留を覆った木々や土砂の除去作業を行なってきた。「六番砂留」が築造当時の姿を現したのは、去年の夏のことである。4年もの地道な作業が実を結んだ。
 現在、堂々川流域の整備は進み、堂々公園も広く知れ渡ってきた。川沿いには福山カントリークラブへ向って整備された道が続いており、「一番」から「六番」砂留は、道路を走りながらすぐ目にすることができ、壮観である。
 しかし、登録されたのは、八基だ。一番から六番以外に、本川に合流する支流にあるのが「鳶ケ迫砂留」と「内広砂留」だ。「鳶ケ迫砂留」は堤高11mで、六番砂留に次ぐ立派な堰である。
 これら八基の堰は明治時代に増築されているが、いずれも江戸時代の築造である。八基の砂留をつぶさに眺めれば、当時の人々がどれだけ、流れ込む砂の被害に苦しんでいたのか、そしてまた、その苦難に挑んだ人々の熱い思いまで、伝わってくるかのようだ。
 堂々川の砂留については、第89回でも触れたが、その時、「鳶ケ迫砂留」と「内広砂留」は触れていない。ぜひ8基すべてを味わってみてほしい。
 
 
 蘇った砂留

淀ケ池東砂留
 
 昭和52年(1977)県によって13基の砂留が調査された。先の8基もそれに含まれるが、このたび、調査以来放置されていた砂留に、新たな光があたった。「淀ケ池東砂留」である。
 石組を覆い尽くしていた竹や木、それらを地元の有志が取り払い、2011年1月、築造当時の姿が蘇った。
 堂々川砂留群の北約1キロほど、淀ケ池の東側にある。川沿いの道からも池向こうに小さく見えるが、池の水量が少ない時は、近くまで行ってまじかに見ることができる。
 淀ケ池北端にある「四季の森・八丈岩」の看板の所から、細い道を進んでいくと終点に駐車場がある。水がない時は、そこからか、あるいは堰の南側から、池に下りると、池の東端にある高さ六mの石積みを目前にすることができる。「六番」のような迫力はないが、江戸時代の石積みをそのまま残した姿は、過去からの饒舌な語りべである。
 現在、東側から川が流れ込んでいるようには見えない。長い歳月の間、土砂が堆積し川筋が変わり、砂留はその役目を終えたのだろうか。
 周辺には江戸時代に40以上の砂留が造られ、そのほとんどが現存しているという。堂々川の流域だけでも16の砂留が残っているそうだ。それらの姿が打ち揃った様を見てみたいものだ。先人たちがこの土地で生き、暮らし続けた貴重な証である。
 「淀ケ池東砂留」は引き続き、草を取り除く作業をされるそうなので、次回訪れるのが楽しみである。




備陽史探訪の会
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