第147回     備後の四ツ堂(49)

  
 福山市蔵王町 「萱ノ堂」

 以前は吹放の四ツ堂であったが、昭和12年に土壁囲いになり、現在はログハウス様になっている。

 第140回で蔵王町の「仁伍の辻堂」を取りあげた。その時に、旧市村に伝わるもうひとつの堂として「萱堂」について触れたが、今回はその堂を紹介したい。
 『備陽六郡誌』に載っている深津郡市村の四ツ堂は九宇。「内篇・神社佛閣除地」では、二五に四ツ堂(地蔵)(観音)、以下、御門(薬師)・かやの堂(阿彌陀)・観音堂(観音)・つなき(地蔵)・山ふしはなの林内(地蔵)・沼田鴨目(地蔵)・坂本(地蔵)とある。後の「外篇」には、四ツ堂九と括られ、それぞれ二五地蔵堂・二五観音堂・かや阿彌陀堂・山伏はな地蔵堂……と仏堂のような表記になっている。時代と共に、より信仰の対象としての堂となっていったのか、単に呼び名が変わったのか不明である。初期の四ツ堂がどういう形態で建てられていたのかも、はっきりしたことはわかっていない。今後も調べていきたいと思っている。
 さて、「萱堂」であるが、『蔵王(市村)史跡めぐり』には「大目萱堂(かやんどう)」と紹介されているが、それ以上詳しいことは記述されていない。
 
 
 

五十三番と五十五番の石仏祀られている。
 
 現在の「萱ノ堂」は、平成十一年九月再建。一見ログハウス風の四ツ堂となっている。風が防げるので、厳しい季節にはうってつけだ。加茂町の倉神社の近くにも同じようなタイプの四ツ堂がある。こちらは眼前の池を眺めながら休憩できるようになっている。いずれも再建前がどのようなものであったが知らないが、おそらく四方吹き放ちの通常の四ツ堂タイプではなかったろうか。
 この堂は「仁伍の堂」と同じく市村八十八ケ所霊場のひとつである。手元の資料には五十三番と記されているが、堂内には五十三番と五十五番の石仏が安置されている。五十五番の方は別の場所から移されてきたのだろうか。
 ひとつの堂にも、多くの変遷があり、それにまつわる逸話が内包されている。地元に昔からあるあたりまえの風景に、時代ごとの物語が詰まっているのだ。大切に語り継ぐことにより、未来に新しい発見をもたらすことになるかもしれない。




備陽史探訪の会
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