第146回     

  
 呼び覚まされた遺跡

大塚橋から見下す山陽自動車道。

 高度成長期の開発によって、今ではその地形を想像するのも難しくなった地が多くある。岡山県との境に位置する坪生の地もまた例外ではない。
 平安時代、山に囲まれた坪生盆地が開墾され、坪生庄が成立した。やがて、備中国小田郡の篠坂村、有田村他六箇村、備後国深津郡の大門・引野・能島・野之浜・津之下五箇村が加わった。太閤検地により解体されるまで、約390年間営まれた。
 坪生庄の中心だったのが坪生村である。かつて田畑が広がっていたその地に、今は住宅がひしめき、その中央は深く削られ、山陽自動車道が貫いている。
 この自動車道用地が買収された昭和58年の秋から、大規模な発掘調査が実施された。庄園時代の政務所などの遺構発見のためである。その時「字土井前」の地から出土したのが、中世の「大塚土居前遺跡」であった。
 16世紀前半から後半の短期間に営まれた在地領主の館跡と想定されている。立て替えが繰り返されたような無数の柱の穴。中には柱の根っこが残っていた箇所もあったという。大きな建物跡など9棟以上の柱穴に、大量の土鍋・銅鏡・中国製や日本製の陶磁器類・西暦1000年頃の古銭の束などが発掘された。
 
 現存するという意味

「おつぼうさん」と呼ばれる墓石群
 
 個人的に興味深かった点は、建物跡から2つの桶を埋めた穴が見つかったことだ。おそらくトイレだったと思われるが、発掘当時は確証できなかったという。その後、中世の城跡である豊田郡河内町の薬師城跡でも似たような遺構が見つかり、平成6年の吉川元春館跡の発掘調査では、桶を2つ埋めた穴がトイレだと判明した。今なら、当時の食物などリアルな暮らしぶりがわかったかもしれない。
 惜しむらくは、その土地が跡形もなくなってしまったということだ。今は、その土地よりずっと下の地点を山陽自動車道が通っている。上に架かる大塚橋から眺める風景はなんとも味気ないものだ。
 時代の流れでいたしかたないとはいえ、土地が呼び起こした遥か古の記憶を人々の記憶に留めておく術はないものか。
 その大塚土居前遺跡の近くにおつぼうさんと呼ばれる墓石群がある。
 住宅間の無造作な空間。明るく陽光が注ぐ盛り上がった敷地には、崩れかけた五輪塔や宝篋印塔が雑然と並んでいる。
 これらは坪生盆地を開墾し支配した坪生氏代々の墓と云われている。他にも諸説あるが、いずれにしろ中世の様式を示す石塔群は貴重である。後の時代の調査でもっと詳しいことがわかる可能性もあるが、何より、気の遠くなるような時間を過ごしてきた石塔たちは、それだけで確固たる説得力を持っている。
 現存しているということは、学術的価値だけでは図れない意味を持っているのだ。




備陽史探訪の会
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