第143回     備後の四ツ堂(38)

  
 庄原市東城町  「柴橋堂」

柴橋堂全景

 国道182号線を東城川沿いに北上していくと、東城の町並の手前で県道108号線と交わる。右へ折れ、東城川へ架かる柴橋を渡ると、橋の袂にその堂は建っている。
 「柴橋堂」は、いわゆる水野勝成が命じて領内に建てさせたといわれる四ツ堂ではない。それよりはるか以前からあったものとされる。
 時は室町時代、謀反の廉で大和国宇陀郡の領地を幕府に没収された宮弾正利吉は、応永6年(1399)、家臣36名と共に備後国に流される。その道中、難儀してこの堂で休んでいる時、付近の住人飛田某が援助したと口伝されている。
 後に久代に比田山城を築いた利吉であるが、流人としての道行は惨めなものであったろう。その折、助けられたことは、どれほど心丈夫だったろうか。
 現在の堂は、妻入りの切妻造で三方吹き放しの、コンクリート土台だ。いわゆる四ツ堂というより仏堂に近い。五体の石地蔵と五輪塔の部分四片が、丁寧に祀られており、よく手入れの行き届いた堂内は清清しささえ感じ、石地蔵に自然に手を合わせたくなる。
 その中でも、目を引くのが、小米石製のお地蔵様である。
 
 

堂内には、中世のものと思われる石仏も並ぶ
 
 備中・備後で小米石と称されるのは、結晶質石灰岩のことだ。いわゆる大理石の一種で、白くなめらかな風合をもつこの石は陽に照らされるとつややかに輝く。石としては柔らかく屋外の石造物には適さないが、地元でよく産出される石として、かつては手軽に利用されていたようだ。
 地蔵尊はぽってりと厚みのある素朴な角型で、やや色味のかかった肌がなめらかだ。陽刻された輪郭は風化し柔らかな表情を作っている。
 石地蔵の前壇の五輪塔はみな一様に丸く風化し、その一部を残すのみであるが、そのひとつは際立って白く滑らかな肌を持つ。備後砂の産地、帝釈峡・夏森産の石であろうか。歳月を重ねたその丸みとつややかな白さは味わい深いものがある。
 沿岸部では見ることのない小米石の石造物、そして遠く戦国時代からの言い伝え。四ツ堂とはまた違った味わいをもつ備後の辻堂である。



小米石製の五輪塔残欠(空風輪)。

備陽史探訪の会
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