第142回     

  
 出土地・黒川遺跡

出土した場所に設置された案内板と銅鐸のレプリカ

 2009年頃だったろうか、中国新聞の記事に「世羅町黒川遺跡に、これまでの出土地の石碑に加え、地元の人が新たに案内板を設置した」というものがあった。
 出土物に歴史的価値があるほど、その出土地とは切り離され、なかなか出土地そのものにスポットは当たらない。ひどく興味をひかれた。
 2010年の晩秋、現地を訪れた。県道52号線をひたすら北上。黒川小学校を過ぎ、JAの支所跡前の橋を左折し、ほぼまっすぐ上がっていくと左へ大きくカーブした箇所、左手へ細く農道が延びる傍らにある。ちょうど丘陵の麓あたりにあるだろうか。
 この地で、1967年、農道改修中に銅鐸が見つかった。県内で2件目の貴重な発見であったが、当初はその価値がわからず数日、田の畦に放置されていたという。
 銅鐸は紀元前2世紀~2世紀までの約400年に造り用いられた祭器で、村落共同体の所有物である。墓の副葬品ではない。丘から眺望できる場所にこれを埋めた古代人の村があったのだろうか。どんな人が何を祈って埋めたのだろうか。眼下には明るく開けた田園風景が遠くまで続いている。太古から暮らしやすく美しい土地であったに違いない。
 ケースの中の案内板は丁寧な筆致で、発見の経緯や歴史的価値などの説明が手書きされていた。隣には陶器のレプリカ。郷土への愛着が滲み出ている。
 
 銅鐸は何を語るか

黒川遺跡より出土した銅鐸。(みよし風土記の丘ミュージアム)
 
 出土した銅鐸は、現在、みよし風土記の丘の県立歴史民俗資料館で所蔵、常設展示されている。
 出雲地方で出土した銅鐸は、その量においてとにかく圧倒的だ。その中でも素人は、とかく立派なものに目がいきがちであるが、実は小さいものの方が時代が古いのだ。銅鐸は12センチから1メートルを越すものまであるが、時代が下るに従い大きくなっていく。1世紀頃に60cmに達し、この頃から急に大型化が進む。
 黒川銅鐸は高さ28cm。ガラスケース越しのそれは、予想していたより随分小さく感じられた。しかし、二千年もの時を重ねた物だけが醸し出す気魄は、出雲で見た大型銅鐸を凌駕している感さえある。
 しかも現時点では、備後で唯一現存する銅鐸だ。当時、世羅台地に銅鐸を持った豪族がおり、北九州や近畿圏とも交易していたであろうことを示す貴重な史料だ。深い歴史を小さな身ひとつに背負ったその毅然とした姿は誇らしげである。二千年という途方もない歳月を鑑みれば、欠損部分でさえ愛おしさを感じてしまう。
 出土地から出土遺物を訪ねる旅は今回が初めてであったが、その感慨深さは病みつきになりそうだ。
 出土以来、黒川の地から遠く離れていた銅鐸であるが、2011年2月4日から一カ月ほど、世羅町へ里帰りした。今高野山にある大田庄歴史館の企画展「黒川遺跡出土銅鐸とその時代展」にて展示。里帰りした銅鐸は、何を物語ってくれただろうか。

 文化財に指定されていなくとも、再生され実際そこに人が住んでいる古民家もまた立派な地域の遺産である。そこには、土地の先人たちが育んできた、郷土への愛とかけがえのない暮らしの知恵や技術が伝承されているのだ。




備陽史探訪の会
バックナンバー HOME クラブTOPへ ▲PageTop