第140回     備後の四ツ堂(37)

  
 福山市蔵王町 「仁伍の辻堂」

堂に傍らに安置された本尊。内部に須屋を置かない四ツ堂タイプの堂である。

 蔵王町はかつて市村として、栄えた土地である。蔵王山の南東麓に広がるこの地には、急坂の細い道が地形にそって網の目のように広がっている。車で行くにも自転車で散策するにもなかなか骨がおれる。しかし、高台であるし、時候の良い時に市村八十八ケ所巡りでそぞろ歩いてみるのも気持ちよいだろう。霊場の設置は寛政9年(1797)の記録があるという。
 四ツ堂についての記録は『備陽六郡誌』に9宇が挙げられている。『福山志料』には市村(現・蔵王町の一部)に7宇(宿胡・御門・二五堂・鴨目・綱木・カヤ堂・半田)が記されている。昭和五十九年の調査では建物現存2宇、祠・跡地4ケ所とある。現在は計8ケ所の四ツ堂の場所が確認されている。すべてを回ってはいないが、現存している2宇の堂(仁伍の辻堂・大目萱堂)については訪れた。これらは『福山志料』の「二五堂」「カヤ堂」であろう。萱堂については次の機会とし、今回は仁伍の辻堂を紹介したい。
 蔵王町と南蔵王町の堺を流れる用水路、それに沿って走る一本の道を東方面へ進んでいくとJAの手前、左へ折れる道がある。かなりの急坂である。その右手に「仁伍の辻堂」は建っている。これから坂を登っていく旅人が一休みしていったのだろうか。
 
 

典型的な宝形造・四方吹放のスタイル。かつては瓦葺きだったのだろう。
 
 四方吹き放しの宝形造のその堂は、加茂や中条でよく見られるような石地蔵が堂脇に独立して設置されているタイプである。屋根は赤いトタンで葺かれているが、厚みのある虹梁も風化した柱もぬくもりのある古さを感じさせてくれる。棟札らしきものは、黒く風化して何も読み取れないが、寄付板から昭和43年の再建であることがわかる。古い形を踏襲した再建だったのだろう。
 石地蔵は四十三番と刻まれ、市村八十八ケ所霊場のひとつでもある。そのせいもあるのか、地蔵尊には花が供えられ、よくお参りされている。八十八ケ所の多くは小さな祠があるばかりだ。歩き通してきた巡礼者は四十三番目となるこの堂でゆっくり休むことができる。ここから再び坂道を巡礼することとなる。
 ちなみに、後に紹介しようと思っているもうひとつの四ツ堂は五十三番目の霊場である。あわせて訪ねてみるのもよいだろう。



上り坂の途中にあるので、正面は見上げるかたちになる。

備陽史探訪の会
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