第139回    

  
 宵闇にうかぶキリコ


 雨あがりの宵、静寂の中に夜の帳が下りてくる。家の敷地が左右に迫った細い坂道の足元を、ほのかに照らすのは等間隔におかれた献灯のあかり。
 鳥居をくぐり境内に入ると、拝殿に灯った蛍光灯が思いのほか眩しい。しかしそれは、境内全体が闇に沈んでいる故である。あちこちに献灯が掲げられてはいるが、いずれもほんのりとしたろうそくの光だ。無遠慮な光の下で日々を過ごす者には、心もとない。境内に散るまばらな人の姿は、みな薄闇にとけている。
 それでも、次第に黒々と人の影は増していき、境内は活気づいてきた。手に手に自作のキリコを持って集まってくる子供たち。地面におかれたそれに、ひとつずつ火を点していく。
 火をいれた弓張り提灯六本が広場の中心に置かれると、闇がほんのりほどけていく。いよいよ祭りの始まりだ。
 提灯を中心として羽織姿の男衆が梵天を持って輪を描く。その外周をさらにキリコを頭に載せた子供たちが取り囲む。音頭取りや拍子取り、それに太鼓打ちの子供もそれに加わる。
 津之郷惣堂ひんよう踊りは福山市の無形民俗文化財であり、基本的には本郷町のひんよう踊り(県無民)と共通するところが多いが、津之郷の方は江戸時代の『御問状答書』の付図と同じキリコを頭に戴く古い形を継承している。
 
 風流を識る踊り

 
 ひんよう踊りの起源はつまびらかではないが、中世に遡るとも云われている。旧沼隈郡の北西部(本郷・神村・赤坂・津之郷・金江東・金江西・新庄の旧七か村)に伝承され、力強く「ヒンヨー」と囃すことから「ひんよう踊り」と呼ばれる。「花踊り」「きりこ踊り」とも呼ばれていた。かつては旧暦八月十四日頃に氏神の宵宮で豊作祈願をこめて行われた。はね踊りと異なり、雨乞いや虫送りに用いられることはなかったようだ。
 現在、津之郷では、秋祭りに惣堂神社で奉納されている。
 闇の中ぼんやりと浮かびあがるキリコのあかり。男衆の低い歌声にあわせて、ゆるやかな動きで輪になって流れていく。社殿の中では煌々とした明かりの下、宮司の祝詞と太鼓が響いている。光と闇、動と静、ふたつの不思議な世界がとけあって、流れるように揺れるキリコのあかりが何とも幻想的だ。『広島県史』によれば、「華やかな若者の踊り」とあるが、なるほど若い男女で踊れば、艶かしい風情であろう。男女の仲は、宵闇にろうそくの明かりがちょうどよい。
 見えないようで見える、かつてはこういう曖昧な闇は至るところにあり、人々はその中でいろいろなものを包み込みながらゆったりと暮らしていたように思う。ひんよう踊りには、現代人が置き去りにしてしまった「風流」が、なよやかに息づいている。
 帰途、見上げた空には星が輝いてた。




備陽史探訪の会
バックナンバー HOME クラブTOPへ ▲PageTop