第137回     備後の四ツ堂 (36) 

  
 福山市駅家町 弥生ケ丘の堂

丁寧にお祀りされた御本尊。

 四ツ堂は、水野勝成が旅人のために各村に作らせたというだけあって、備後地方には他地域と比べ多くの堂があった。
 今日でも旧道沿いに相応の数の堂が点在している地域もある。そして、自転車で旅する者には格好の休憩処となっているという。古の旅人のための休み処は、現代のツーリストにとっても、まさに的を得た場所にあるようだ。
 しかし四ツ堂の多くは時代の流れの中、撤去されてしまった。なかには道路整備に伴って、撤去ではなく移転という形で残された堂も少なくない。それが果たして、現代の旅人にとって良き場所であるのかどうかはわからないが、新たな命を得た堂も存在するのは確かだ。
 駅家町弥生ケ丘は、かつての中嶋村の西側の山を切り拓いたニュータウンである。その入り口あたりの敷地に四ツ堂が建っている。四方吹き放しの宝形造。軒が高く、均整のとれた堂々たる姿である。上部には壇が設けられ、石地蔵が祀られている。
 周辺の変貌著しく古い地図を引っ張りだしても、この場所をはっきりと確定することは難しかった。あるいは中嶋村を通っていた道筋にあったものを移築したものであろうか。
 
 

堂内で楽しげにノートを開く子どもたち。
 
 棟札等はなく、新しい時代の建造であろうが、何より目をひいたのが、小学生の男の子の姿であった。
 学校帰りに堂で宿題でもしているのか、小雨の中、床に座りこんで何やら楽しそうだ。日ごろからいい遊び場になっているのだろう。近所の人たちの目が届きやすいのも良い案配である。
 ある地域では生協の荷下ろし場となっていたり、お年寄りたちのお喋り場であったり、あるいは子供たちの遊び場であったりと、地域の中で、四ツ堂は見事に再生を果たしている。言いかえると、四ツ堂がそのように活用されている地域は、地域力が旺盛であるように思う。
 その昔旅人を癒した四ツ堂は、現代において、地域コミュニティのひとつの指針として蘇っているようだ。



備陽史探訪の会
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