第134回     備後の四ツ堂(35)

  
 福山市御幸町中津原 「前の堂」

シンプルだがよく管理された堂である。

 芦田川左岸の土手を北上していくと、中津原で大きく左に弧を描く。その河川敷がゴルフ場となっていることは、この道を利用する者ならば、周知であろう。
 しかし、昭和の初めまで、土手はもっと川に迫っており、現在のゴルフ場には幾筋かの道が通っていたことを知る人はどれぐらいいるだろう。
 材質こそコンクリートに変わったが、今も変わらずそこにある羽賀橋(沈下橋)。現在そこからゴルフ場をまっすぐ突き抜ける小道が続いているが、かつて、道は左右に割れ、左は砂土手を通り森脇へ、右は新茶屋方面、途中左へ折れると羽賀の方へと抜けた。
 その沈下橋の北詰にあったのが、今回紹介する羽賀の「前の堂」である。これは芦田川を挟んで西岸にある謹念堂を奥の堂と呼ぶのに対応している。
 現在、「前の堂」は、県道391号線を羽賀の交差点で芦田川方向へ折れるとすぐ、羽賀集会所の敷地内にある。
 

丁寧に祀られた石仏たち。
 
 堂は宝形造だが、虹梁などないいたってシンプルな造りだ。しかし、隅々にまで手入れが行き届いており、新しく葺き替えられた屋根は、滑らかで重厚感がある。ことに四隅で睨みをきかせる鬼瓦が印象的だ。須屋壇に安置されているのは六地蔵だろうか。地蔵菩薩の真言が掲げられている。
 この地に移転してきたのは昭和の初めである。芦田川改修工事で昭和12年に中津原に土手が完成し、堂があった場所が河川敷になったためだ。当時、地元の男衆が全員力を合わせ、人力で移動したという。しかし、力持ちであったからできたということでもあるまい。長い歳月、芦田川との戦いによって培われた精神力と地元に対する強い思いが、あったからではないだろうか。
 暴れ川であった芦田川が氾濫するたび、現在堂があるあたりは、一面の砂原となり、川も道も区別がなくなったという。全国的にも珍しい砂土手とこの地の人々の苦難の歴史を物語る砂堰跡や石柱については次号語りたい。「前の堂」を訪れる時は、ぜひ一緒に巡ってもらいたい。



備陽史探訪の会
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