第133回   

  
 ただそこにあった古墳

発掘途中の2005年当時の二子塚古墳

 古墳ファンというのは、思った以上に多いものらしい。ネットでも熱心なファンのサイトや古墳探訪のブログを見かける。
 福山でも最近は駅家町や加茂町で古墳ロードが整備され、気軽に古墳を見て回れるようになった。
 2009年の夏、国史跡の指定を受けた記念に開催された駅家町「二子塚古墳」の現地説明会には、180人が参加した。古墳時代後期の前方後円墳としては県内最大規模で
あり、貴重な出土品もある。発掘調査を開始して8年目となる年、いよいよ保存・活用への動きが本格化していった。
 にわかに脚光を浴びた二子塚古墳であるが、ある日突然出現したわけではない。古代からそこに存在しつづけ、少なくとも半世紀前から石室の一部は開口していた。
 当時は石室も2メートルほどの空間を残して砂に埋もれ、開口部もわずか50センチほど。這うようにして進入したという。45年ほど前の話だ。
 その後、古墳の上に車道が通り、大型トラックが行き交うようになる。下に埋まっている石室にも影響が出る可能性があり、「備陽史探訪の会」では市や県に保存の必要性を訴えた。しかし、その実現までに10年もの歳月を要したという。
 忘れられた古墳

本郷中野古墳の案内看板。
 
 2010年3月、中国新聞に次のような記事を見つけた。「戦中の開墾で消滅したと伝わっていた「中野大塚古墳」を福山市本郷町の住民が雑木林で発見。解説文付きの看
板を立てた」というものだ。
 江戸期の史料にはあったが、戦中はサツマイモ畑となり、その後は雑木林となって忘れられていたそうだ。
 県道158号線を本郷温泉の方へ折れ、北側の車一台分の細い道へと進む。ほどなくして右手の道沿いに「本郷中野古墳」とその説明板、石碑が見える。そこからさらに
川上へ五分ほどの右手の檜林の中に、このたび発見された「本郷中野大塚古墳」がある。
説明板までは行きついたが、それから川を挟んで50メートルほどを進むことができず、断念。
 古墳は直径約15メートルの円墳。中央に幅2メートル長さ7メートルの横穴式石室があると推定されている。天井の覆い石はなく、側壁の石が一部残っているようだ。
機会があれば、ぜひ現地まで訪れたいと思う。
 「本郷中野古墳」は保存まで一ケ月足らずであった。状況により、保存化が速やかに行われる場合もあれば、困難を極めることもあるだろう。確実にいえるのは、「二
子塚古墳」も「中野大塚古墳」も調査し明らかにしたのは公的機関であるが、地域の遺産として守ったのは福山に住み、土地の歴史を後世に伝えようとした一般の人々で
あった。
 その史跡の学術的価値がいかほどなものかは関係ない。受け継がれた史跡を保存し、継いでいこうとする地域の人々の力があってこそ、史跡は遺産たるのだと、何度も
言うが、あえて繰り返しておきたい。



備陽史探訪の会
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