第131回      備後の四ツ堂(34)

  
 福山市駅家町 「上山守茶堂」

入口上に掲げられた札

 芦田川の土手道を車で通る機会は多くあるが、土手下の家並まで目配りすることは稀である。しかし、そこに興味深い景色を目にすることもまた多い。
 上山守を通る左岸の土手道から目にすることができるのが、「上山守茶堂」だ。
 この堂は、土手の法面から突き出したような場所に建っており、土手道からは目につきにくいし、車でふらりと立ち寄れるような場所でもない。しかも一般の四ツ堂のような宝形造ではないので、それを四ツ堂と気づいたのは、何度も目にしてからだった。
 切妻の腰高板張りの外観は、大きな待合所か簡易集会所のようにも見える。広さもたっぷりあり、大人数がゆっくりくつろげるだろう。土手沿いの道を通う人々には良い休み処といったところだ。自転車の小学生たちが休んでいる姿を見かけたこともある。
 堂の入り口に掲げられた「上山守茶堂」という名前が示す通り、仏堂というより、旅人の休み処として利用された本来の四ツ堂の意味合いが強い堂である。棟木には立派な棟札があり、茶堂の由緒板には次のように書かれている。
 

上山守茶道の全景
 
 「茶堂の由来については詳らかではないが、水野勝成公がその以前若き日の流浪中難儀し辻堂休み堂の有効なることを身をもって体験し元和五年(一六一九年)福山藩主となり領内各地に辻堂休み堂を建立、平穏を祈願させたとの伝記があり、その中の代表的な休み堂が上山守茶堂であると記されています。茶堂にはお大師様をお祀りしてあり旅行く人々巡礼される方々に湯茶等の接待をし又地域の人々の安らぎの場として真言宗の信徒により守り継がれたとの言い伝えもあります。芦田川改修以前は堤防の天位内側にありましたが昭和十二年の河川改修工事で現在の場所に移転、昭和三十年、四十三年、五十六年と再々度に亘る補修を加え平成九年大改修を施工、此の期に保存会を設立立派な歴史的価値ある茶堂を後世に伝えるため由来を表記する」
 残念ながら手持ちの資料では、本堂が当時の代表的な休み堂であったかどうかは確認できない。また江戸時代に辻堂・四ツ堂のことを「茶堂」と表現した文章も知らない。四ツ堂とは別の水野家由来の「茶屋」に関係する建物だったのかもしれないとふと思った。可能性として高いのは、江戸後期に流行した八十八カ所巡りのひとつとして、信徒の方々が茶接待をしていたのかもしれない。
 謎は多いが、保存会がある限り、いつの日か言い伝えとしてではなく、史実としての堂の由来がはっきりすることがくるだろう。



備陽史探訪の会
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