第129回      

  
 中世の窯跡 鎌山遺跡

今では畑地が広がっている遺跡跡。

 現代、目に触れる文化財の多くは江戸時代のものが多く、それらに目が向きがちだ。しかし備後は、それよりずっと前、古代から連綿と人々が生活を営んできた地である。
 坪生もそのひとつだ。平安時代には摂関家の最勝金剛院領「ひこ つぼう」として歴史にその名を刻んでおり、室町時代まで一条家領「坪生庄」として続いた。そして、鎌倉・室町時代を経て、江戸時代には福山藩坪生村となった。文書に表れるだけでも、実に一千年を超す人々の生活が土地に織り込まれているのだ。
 坪生町南部の江戸野地区にある「鎌山遺跡」は平安時代からの窯跡である。昔からこの地の土壌からは大壷や布目瓦など多数の破片が出ており、農耕者泣かせの畑と言われていた。昭和57年、このあたりから土器片や布目瓦が大量に採取され、これらは、「坪生郷土史研究会」の尽力により福山城博物館に保管されるに至った。
 それを端に、この地から出土した瓦が、平安京の高倉宮屋敷跡からの出土瓦と一致することが判明。また、別の出土瓦は、奈良興福寺出土瓦の木製版とも一致したという。
 平安・鎌倉・室町時代と続いた窯跡も、今ではすっかり畑となり、全くそれと知れない。しかし、案内板が設置され、地元の方もよくご存知である。そこに何があったか、伝える者がおり、その場所が残っていれば、歴史の根っこは消滅することはない。
 地域力の鍵

看板が設置されているので、ここが遺跡跡とわかる。
 
 このような貴重な遺跡を訪ねるきっかけとなったのは、『坪生たずね歩き』というガイドマップを手にしたからだ。このマップは「坪生学区キーワードモデル事業」「つぼう郷土史研究会・地域の底力事業」の共同制作物である。坪生地区の地図に遺跡の場所やトイレや駐車場の場所まで示されている。探訪モデルコースも設定されており、坪生が丸ごと楽しめるマップである。
 鎌山遺跡への道は狭く少々複雑なので、マップのモデルコースに沿って、のんびり徒歩で探訪するのがよいだろう。感受性を研ぎ澄ませば、千年の歴史の重みをずしりと感じさせる遺跡にたくさん出会えるはずだ。
 つぼう郷土史研究会では『つぼう郷土史研究会だより』という機関誌を発行されているのだが、これが単なる会報にとどまっていない。大型ゴミ回収日や学区の小学校の話題など地域の情報満載なのである。これは、本会が地域の団体として機能しているためであろう。
 土地の歴史は、土地の人々とあるべきだ。なぜなら、日々の営みの中で、自分の住む土地への愛着や誇りが育まれていくのだから。
 地域に密着した活動をされている郷土史研究会が存在していること、これこそが最も価値ある坪生地区の遺産となるのではなかろうか。


布目がついた瓦の破片。窯跡だった証だろうか。

備陽史探訪の会
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