第127回      

  
 命育む水路

 府中市剣先交差点にて五ケ村用水を望む。かつては左の国道部分もすべて用水路であった。

 満々と水をたたえ、周りの景色を映し込んだ6月の水田は、心浮き立つような美しい光景だ。稲作はまさに日本の原風景といえるだろう。
 その稲作を支えるのは、豊富な水である。そのため、古来、人々は深刻な水不足と水利紛争に向きあわなければならなかった。多く残されている水争いにまつわる古文書が、雄弁にそれを物語っている。
 生活を守るため、ひいては命を守るために繰り返された水利紛争、それが複雑な水利慣行を生みだしてきた。今では、どの町にも網の目のように張り巡らされた用水路があるが、その歴史を辿ると、農民たちの辛苦に満ちた歴史が内包されており、驚かされることもしばしばだ。
 水路の確保、その管理と権利の分配、水を巡る争いは、まさに生きるための戦いだったのだ。
 新市の素盞鳴神社北側を流れる戸手用水。今も清水が流れるそのほとりを歩いていると、それを切り開いた人々の労苦や、またその恩恵を受けた人々の歓びまで、様々な思いが胸にこみあげてくる。
 府中の町にも、用水路が縦横に走っているが、その中で、江戸の初め頃、念西上人によって掘削されたといわれているのが五ヶ村用水である。
 府中市「五ケ村用水」

 用水路の分岐点に置かれた石。この石の向きを変えることで、左右の用水路への送水量が変わる。降水量の少ない時には、夜中にこの石の向きをこっそり変える村人もあったとか。
 
 現在の取水口は府中市目崎町剣先、ここから約4キロの水路が五ケ村を通り、新市駅前あたりで芦田川に注ぎ込む。この用水路によって、町村・広谷村・府川村・高木村・中須村の五つの村の三百ヘクタールを超す水田が潤されたという。
 平野部の長い用水路では、末端部分での水量が少なくなるなど、全体に均等に水が行きわたらない。そのため水路には様々な工夫が凝らしてある。
 例えば、分流地点に置かれた「水計り石」。広い田の方に多くの水が流れるように調節するものだ。また、石版に二つの穴をくり貫いた「めがね石」。これも分水地点に埋め込むもので、土地の広さによって、穴の大きさを変えて水の量を調節した。他にも「逆さ溝」や「くぐり水」など。これらの様々な仕掛けや工夫は、多年に亘る水争いを通じて、そのたび施されていったのだろう。
 やがて、時の流れと共にかつての穀倉地帯は町へと変貌していった。現在、府中の町に水田の広がる風景を見ることはない。それでも、近年まで家と家の間を縫う用水路は生活の中に密着していた。水路の端を歩いて行き来し、水撒きや水遊びに利用されていた。
 しかし今、水路はコンクリート整備され、ほとんどは暗渠となってしまった。「七ツ石」や「きんぞう石」など、先人が命懸けで刻んできた水利の遺物は、多くが行方知れずとなっている。農業水利は歴史的遺産として保存されるのは難しいであろうが、先人たちの真剣な生き様の記憶まで行方知れずにしてはいけない。


備陽史探訪の会
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