第125回      備後の四ツ堂(32)

  
 福山市瀬戸町地頭分 「平木堂」

一般的な四ツ堂の姿。本尊はまだ新しい舟形石造地蔵。

 瀬戸は古くから開けた土地である。平安時代末期には皇室領としての荘園・長和庄が設けられていた。今も瀬戸に残る長和、地頭分、山北などの地名は、古い時代の名残である。
 さて昭和59年の調査では、瀬戸町の四ツ堂は2宇と報告されている。その後、調査が継続されたのかどうか不明だが、現在、個人的に4宇を確認している。その中で、最も知られているであろう「平木堂」を紹介したい。
 福山方面から農免道路へ入る人、いわゆるサファの裏手の道である。瀬戸川の東100メートルほどの角地に、四方吹き放し、宝形造りの四ツ堂が建っている。
 須屋には、真新しい石地蔵が祀られ、堂内には昭和59年再建とだけある。ただ、屋根の頂部分、宝形・露盤は再建前のものを流用したのであろう、時の経過を感じさせる。
 また、境内地に祀られている他の石地蔵たちも、その土地の歴史を物語ってくれている。小さな地蔵2つは牛供養地蔵だ。そして、注目したいのが、大きな地蔵菩薩座像である。

 

向って右手の地蔵菩薩坐像。円座の下の方形の基壇が鎌倉時代のもの。
 
 台座には、大正元年の造立と彫られている。しかし、その下の51センチ四方高さ34センチの基壇の四方には、「ア」「アー」「アン」「アク」の梵字が刻まれ、「アン」の梵字の左右には「比丘尼□□」「文保元年七月十五日」の銘がある。この基壇は、もとは平木堂周辺に転がっていた五輪塔の地輪だったそうだ。
 文保元年といえば、1317年、鎌倉時代末期である。地輪のみとはいえ、銘の刻まれたものは珍しく、貴重な遺物である。文化財には指定されておらず、風雨にさらされるままになっているのは、非常に残念なことだ。
 しかし、地元の人に親しまれ、大切にされている場所であることは確かだ。境内のどの地蔵尊にも花が供えられ、ろうそく立てや線香立てなどの仏具が置かれて、よく管理されている。
 古くから、旧道を行き交う人を見守ってきたその場所は、今も、穏やかに行き交う人々を見守っているような気がした。



備陽史探訪の会
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