第121回     

  
 謎の「式内社」

車道沿いの小高い場所にある石畳神社。
祠の下の大岩も『備後略記』の絵に似る。

 蛇園山は心惹かれる山である。東進する芦田川の土手に立つと、天を衝くような姿が際立つ。古くから信仰の山として備後国に君臨してきた山は、今も変わらぬ神々しさを秘め泰然として服部の地に座している。
 近年では、遠足やドライブと、誰もが気軽に楽しめる行楽地となっており、車道が整備されてからは、ますます訪れやすい山となった。
 その蛇園山へ登る服部雨木地区の車道沿いに、不思議な神社がある。
 道路より高い場所にあるので車で飛ばしているとわかりにくいのだが、石の鳥居に小さな祠、そして、「式内社」と彫られた石柱、注意を引きつけられるには充分すぎるだろう。
 式内社とは、延喜式神名帳に記載された神社で、平安時代に官社として認定されていた由緒ある神社である。備後国には17社があるが、そのうち品治郡に存在するのは多理比理神社で、すでに比定されている。
 それより古い六国史に記載された神社であるにも関わらず、延喜式に記載されていない神社は「式外社」と呼ぶ。これは備後国には五社ある。そのうちのひとつかもしれないのだ。
 その神社の名は「岩畳神社」。

 神の宿る地

 古くは『備陽六郡志』に載る。品治郡にある宮の社職が京都吉田神社へ行った折り、「備後国二十一社の内、品治郡岩畳の神社というのがあるが、知っているか」と訊ねられたそうだ。郡内を探した所、岩畳という場所があり、そこに古い石塔があった。社もなく、由緒について知る者もなかったいう。文と共に付近の様子も描かれているが、位置関係はわかりにくい。
石柱には「式内岩畳神社」の文字。

 それより後の『備後略記』には、より詳しい絵が載っている。道筋は変わっているが、二百年ほど前の景色は、そのまま現在にあてはまる。紛れもなく、石畳神社は同じ場所に同じ姿で存在していたという事実に、感動すら覚える。その文中において、岩畳神社を式外社のひとつ「神田神」としている。  
 『西備名区』には、「三代実録に載る品治郡大神(オオミワ)神社が、石畳神社にあたる」とある。石で畳み上げてあるだけで社がないのが、和州三輪の大神神社のように山をご神体にしているのと通じるからのようだ。
 地元では古くから岩畳神社は神田(じんで)さんと呼ばれていたそうで、神田神である可能性の方が高そうである。
 岩畳神社の「式内社」の石柱は謎であるが、式外社であれば、より由緒のある神社ということになるだろう。
 狭い境内、平らな石に乗った小祠の中には石塔。古よりの信仰を色濃く感じる神社である。蛇園山に抱かれたこの地で、一千年以上前から信仰されてきた神の真名は、わからぬが、存在していたと確信するのは容易だ。古代より信仰されてきた神の宿る場所とは、そういうものなのかもしれない。


本尊は小米石製の宝篋印塔の残欠。

備陽史探訪の会
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