第120回     平家谷の伝説―3―

  
 赤い谷

赤幡神社。赤い紙垂(しで)が特徴的。

 八日谷ダムを過ぎると、いよいよ平家谷だ。そこからさらに道なりに進むと、右手に現れるのが赤幡神社である。
 しめ縄から下がる赤色の紙垂が、訪れる人の目を強く引く。白い紙垂を見慣れた身には、一瞬禍々しささえ感じてしまう。しかし、この赤は、戦から落ち延びてきた平家武者の思いが込められた、物悲しくも誇り高き色なのだ。
 源平合戦の折り、平氏は赤旗を掲げて戦った。その赤旗を奉納したのがこの赤幡神社だ。一方、源氏の旗色は白。平家谷においては、たとえ紙垂であろうと、源氏を象徴する白は禁忌の色とされた。
 境内には、椿の大木があり、季節になると、真っ赤な花をつける。花弁を散らすことなく、ひとつまたひとつと姿そのままに花を落していき、やがて樹木の下は椿の花で真っ赤に敷き詰められる。
 現代では椿は縁起が悪いという説もあるが、明治時代の流言によるものだ。椿は万葉の頃から愛でられた花である。遠く平家の時代に思いを馳せるに、これ以上ふさわしい花はないだろう。
 谷のあちこちで赤い色を見かけるうちに、落武者がそこここで赤旗を掲げ快哉を叫んでいるような不思議な気持ちになってくる。

 武者たちを偲ぶ名

鐙峠。平氏の武将が険しい山道を登る時、片鐙を落としたことに由来するという。
手前に武士が急な坂道を乗り越えていったという乗越(のりごえ)の地がある

 平家谷らしい風景の中を、さらに奥へと進んでいく。先には、平通盛の菩提寺と伝わる福泉坊があるが、そこへ行くまでにも、落武者たちの足跡がそこかしこに残されている。
 たとえば平家ゆかりの館があった場所とされる「館」、平氏の武将が武術鍛練した場所とされる「広場」、峠道や要所に設けられ「見張り所」、弓の鍛練をした「弓場」。西方の「的場」に向けて弓を射ったとも伝えられるが、今では民家が建ち並び目通しはきかない。なにぶん古い時代のことなので、遺跡なども残ってはいない。
 険しい坂道を登る時、片鐙を落としたため名付けられた「鐙峠」や、その途次、急な坂道を乗り越えて行った「乗越」などは、その場所が残っている。しかし今は、車が通れるアスファルト道路になっており、当時の険しい峠道を想像するのは、少々難儀である。
 源平合戦から逃れ、この谷へ集まってきた平家武者を物語る数々の名称。その名を歴史書に刻むほどの物証は何もない。けれど、その名称が現代まで受け継がれてきたのは事実である。そして何より、実際この谷を訪れてみるといい。平家の谷としてその歴史を継いできた土地の真実を肌で感じることができるだろう。
 歴史のロマンは歴史書に刻まれた史実からではなく、口伝とその土地に織り込まれた記憶から立ち昇ってくるように思う。そう強く感じさせる雰囲気が平家谷にはある。



備陽史探訪の会
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