第116回     備後の四ツ堂(29)

  
 福山市御幸町下岩成 「地蔵堂」

バス停留所の待合のような四ツ堂。理にかなっている使い方である。

 深草神社の側を通る下岩成のバス通りは、かつて街道として多くの旅人が行き交った道である。北上すると下加茂の四ツ堂と出くわす。さらに道は広瀬や百谷へと続き、多くの四ツ堂と出会うことができる。この下岩成の地蔵堂は、芦田川に架かる森脇橋を渡って最初の四ツ堂である。
 宝形造の四方吹放、下岩成下のバス停となっており、ちょうど良い待合所である。まさに旅人のための四ツ堂という感であるが、どうもそれだけではなかったらしい。
 棟札によれば、寛保元年(1741)に青面金剛堂を再建したこととなっている。江戸中期の棟札が残っているのは、四ツ堂には珍しい。もっとも、青面金剛堂、すなわち庚申堂として建てられたため、棟札が残されていたのだろう。
 庚申堂は、庚申信仰の堂である。体内に三尸(さんし)の虫がいて悪事を監視し、60日ごとの庚申(かのえさる)の夜、その人の睡眠中に抜け出し、天帝にその人の罪状を告げる。それにより、寿命が縮んだり、地獄に落ちたりするため、人々はこの虫が体内から抜け出さないよう、この夜は眠らず、神を祀り、夜を明かすのである。日本には古くから伝わり、9世紀~10世紀には貴族社会で恒例となっていた。鎌倉・室町になると上層武士階級へ、江戸時代になると民間へと広まった。 

 

四ツ堂の隣の小祠にある「コウシンさん」の碑。

 もとは、中国の道教に基づくが、日本では十五世紀後半に仏教と結びつき、青色金剛を本尊とし、会食をしつつ語り明かした。
 下岩成の地蔵堂が庚申堂として建立された由緒や経歴については不明である。しかし、堂の境内地に、「コウシンさん」と呼ばれ、歯痛にご利益があるという碑がある。これはコンクリート三方囲いの祠に祀られていて、江戸時代の庚申塔と考えられている。庚申塔は、庚申待ちを3年18回続けた記念に造立される。全国各地に今も多く残っているようだが、備後ではあまり見かけないように思う。
 今では地蔵堂となっているが、坪生町「葉座の庚申堂」と共に数少ない庚申信仰の名残りである。多いに注目していきたい。


備陽史探訪の会
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