第114回     平家谷の伝説―1―

  
 平家伝説

八日谷ダムにある立札。ここからミステリーワールドの始まりだ。

 一ノ谷から、屋島・壇ノ浦へ。五年に亘る源平合戦は、中四国の各地に平家の伝説を生み出した。ことにあちこちの山間部には、「平家落人の里」の伝承が多く残る。人里離れ、山ひだに隠れるように存在する落人の里に、何かしら哀愁を感じてしまうのは日本人ならではの感覚だろうか。
 ところで、備後にもこの平家の落武者が隠れ住んだと謂われる場所が何箇所かある。その中でも、ひときわミステリアスでロマンチックな「平家谷」にまつわる伝承を紹介したい。
 隠れ里…といっても、人里から離れた山奥というわけではない。春のしだれ桜、五月になれば、しょうぶ園、と観光客で賑わう谷である。
 県道72号線・福山沼隈線を沼隈方面へと向う。中山南に入ると左手に「平家谷」の看板が出ている。そこを左に入ると、平家谷ツアーの始まりだ。
 ここから八日谷、平家谷と山間に入り込むのだが、平家の武者ゆかりの地が点在している。弓の練習をした弓場(ゆば)。弓の的を置いた「的場」、馬に乗って越えた「乗越」など、地名としてのみ名残を残している場合も多いが、実際訪ねてみたい史跡も存在する。
 心に強く迫ってくる赤い「しで」の色、落武者たちの苦難、平通盛と小宰相の物語……、ものの哀れと浪漫あふれる道行きである。

 平家物語と平家谷伝説

他では滅多に見ることのない「赤い紙垂(しで)」。
神社はどこも赤い紙垂が揺れている。

 さて、歴史に詳しい人は「おや?」と思われたことだろう。平家物語では、平通盛は一ノ谷の合戦時、湊川にて討ち死にしたことになっている。その報を聞いた小宰相は悲しみのあまり、屋島に向う船から身を投げて自殺した。男に先立たれ出家するのが世の常だが、身投げまでするのは稀であった。
 小宰相は宮中一の美人と謳われた女性で、通盛は法勝寺のお花見の時に彼女に一目ぼれし、三年越しの熱烈な恋を実らせた。二人の悲恋は史実として今に伝わっている。
 そのため、この地へ落ち延びてきたのは、平通盛本人ではなく家臣たちであり、彼らが平通盛と小宰相を祀ったのだという説もある。
 しかし『備陽六郡志』には、平家谷で「道盛」は足をヒルに食いつかれたとある。本書は江戸時代中頃、福山藩士・宮原直ゆきによってまとめられた地誌である。この中で、平家の谷のさまざまな逸話が綴られている。そこに通盛も登場しているのだ。通盛の平家谷伝説は、少なくとも、江戸時代から伝わっているということになる。
 この手の話は各地にあるし、あまりに古い話なので、事実はどうだったのか、決め手はない。しかし、通盛伝説の可能性を信じたくなる雰囲気が、確かに平家谷にはあるのだ。
 信じるかどうは、その地を訪れて、直にその土地の匂いや色を感じながら、想像の翼を広げればいいと思う。


備陽史探訪の会
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