第113回     備後の四ツ堂(28)

  
 福山市今津町 「地王堂」

初めて訪れた時はすでに再建であった。

 現存している四ツ堂の姿を少しでも多く写真に残しておきたいと思うのだが、間に合わない場合も多い。『ふるさと今津』に、地元では「地王堂」と呼ばれると紹介されていた「吾妻橋西詰北側の辻堂」。掲載写真では老朽化が進んでいるように見えたが、場所がはっきりせずそのままになっていた。
 平成20年に案内してもらったのだが、現場に着いて一瞬我が目を疑った。そこにあるはずの四ツ堂はなく、あったのはできたばかりのブロックの祠。中にはまだ何も安置されておらず、もう少し早く訪れていたら……と口惜しい思いをした。
 『備陽六郡志』によると、今津村には辻堂が8カ所あったようだが、今では2宇が残るのみである。いやすでに、現存1宇、堂跡1カ所になってしまった。
 2010年、再度訪れてみると、地蔵仏は新しい祠にきちんと安置されていた。そればかりではない。台座には化粧板が貼られ、前面の地面には玉砂利が敷き詰められるなど、祭祀所にふさわしい設(しつらい)になっていた。

 

再建後の地王堂。左の奥に経過を記したパネルがあった。

 下の段には、花びんや線香たてなどお供えが並び、お参りが絶えない様子が伺える。
 初めてブロックの祠を目にした時は正直落胆したのだが、新しく生まれ変わった祠を見て、少し安堵した。姿形は変わっても、四ツ堂の本質がひとつでも継承されていくのなら、それは充分意義のあることだろう。
 このたび目を引いたのが、一枚のパネルである。以前の四ツ堂から現在の祠になるまでの経過を写したものが掲げられている。これなら以前の堂を知らない者にも、わかりやすい。何より、これから育っていく子供たちに、自分たちの住む場所の歴史を伝えていこうとする意識が感じられるのがいい。
 50年先100年先の事まで責任もてないと言った議員がおられたが、50年先、100年先の視点から、自分のふるさとを眺めてみる余裕を持ちたいものである。


備陽史探訪の会
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