第111回     備後の四ツ堂(27)

  
 福山市神辺町  「十九軒屋地蔵堂」

再建前の十九軒屋辻堂(撮影:天野公士氏)

 ここ数年で、老朽化により撤去された四ツ堂もあれば、改修・再建されたものもある。元の姿そのままに、立派に再建された堂を見るのは嬉しいものだ。
 そのひとつが、神辺町十九軒屋にある地蔵堂である。
 国道182号線と国道486号線が交差する場所から、ほんの少し北東に入った場所。二つの道がひとつに交わる場所に、真新しい宝形造・三方吹き放ちの堂が建っている。棟札には、平成二十一年七月の改築とある。南側の小屋が撤去された分、外観はよりすっきりとして見える。
 虹梁や屋根の工法など細かい点での違いはあるが、かつての写真と比べてみても、堂はほぼ同じ様子を保っている。それがまた、なんとも魅力なのだ。たかだか堂一宇が発信する情報は想像以上に多い。
 この堂は東向きに建てられており、午後の撮影では、逆光になって困ってしまった。普通、二股に分かれている場合は、分岐点の方に正面が向くのだが、この堂の場合は北向きになってしまう。それで、東に向いているのだろうと、特に疑問も持たなかった。
 しかし帰宅後、なにげなく昭和40年頃の地図を眺めると、この堂の西側に道はなかった。東側の道路のみが県道中野・御幸線として存在する。もとは、加茂と中津原をつなぐ街道沿いに建つ四ツ堂だったわけだ。

 

再建後の十九軒屋辻堂

 さて、後日談であるが、この記事が中国ビジネス情報に掲載されて後、この十九軒屋辻堂の再建に携わった園尾さんと縁を得て、旧辻堂を解体した時に発見された4枚の棟札の写真とその資料を送っていただいた。
 4枚のうち、最も古いのが寛政7年(1795)で、文政7年(1824)、慶応3年(1867)、大正14年(1925)とある。30年、50年、50年、そして今回少し長いが80年、実に210年の間、地域の方々の手で手厚く保守・管理されてきた堂である。
 備後地方では、あまりに当たり前すぎる風景で、なにげなく目にする辻堂であるが、それらの多くは100年、200年の歳月を地域の人々と共に歴史を積み重ねてきた堂である。見る人は敬意をもって、また堂を守る人は誇りをもって、共に末永く四ツ堂と共棲できたらと願う。
(この場をお借りして、園尾俊昭様には再度、深く御礼申し上げます)

再建時に見つかった4枚の棟札の写真

備陽史探訪の会
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