第110回     備後の四ツ堂(26)

  
 福山市草戸町 「中ノ丁地蔵堂」

厚く信仰がされていることがみてとれる堂内

 国宝明王院を右手に、芦田川の土手を下っていく。法音寺橋を過ぎ、草戸大橋へと進む中ほど、土手下の道が二つに分かれる箇所がある。左は、そのまま土手に沿ってまっすぐ伸び、右手は、かつての半坂への往還か。その二叉路に建つ四ツ堂が、草戸町に唯一現存する「中ノ丁地蔵堂」だ。
 宝形造・四方吹き放ちの姿は、いかにも四ツ堂らしい。上部四方には赤い幕が張り巡らされ、石造舟形地蔵尊の前には花や線香など多くのお供えが並ぶ。行き届いた手入れがされている様は、今も地域の中で、しっかり活用されている証である。
 この堂を訪れた時、ちょうど生協の荷下ろしの最中だった。他の堂でも何度か見かけたことがある。四ツ堂においては、決して珍しい光景ではない。
 江戸時代、旅人がひとときの休息を取った場所。堂内にて病気で伏せれば、村人たちが救助する。明治時代には峠の堂で、茶接待をする例もあった。
 そして、現代。繁栄する町並に埋没していく堂や、限界集落でひっそり朽ちていく堂が後を立たない一方で、地元の人に愛され、活用されている堂も存在するのである。

 

生協の荷降ろし場所として活用される風景

 誰もが気軽に集え、開け放された共同の空間。管理するのも、維持するのも、お役所任せではなく、すべて自分たちだ。地域の人たちが誇っていい場所だ。
 この堂の建立年や由来を、知る人はいない。昭和60年に改修された記録のみが残る。しかし、こういう光景を見るにつけ、由来や歴史など、あまり意味を持たないような気がしてくる。連綿とその場所で地域の人々と共に歴史を刻み続けている、その事が何より誇らしいのだ。
 子どもの遊び場でもいい、情報交換の場でも、集いの場でも、荷下ろしのような作業場でもいい。信仰の場だけではない。四ツ堂は、そこにあるだけで、いくらでも活用のしかたはある。
 古くなった堂を重荷とみるか、自分たちのコミュニティスペースととらえるか。地域団体のあり方が問われるところだ。


備陽史探訪の会
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