第107回      

  
 塩田から始まった松永

祭りの日には幟が風にひるがえる潮崎神社の境内

 松永は萬治3年(1660)福山藩士本荘重政により塩田が開かれたことに興る。
 塩田開発に着手してから7年。寛文7年(1667)、48浜の塩田が完成すると、湾の東部に村ができた。その地が松永村と名づけられたのである。
 現在は、塩田はなく、沖合まで干拓地が広がり、松永もすっかり様変わりした感は拭えない。しかし、製塩業で栄えたかつての松永村(現・柳津町)には、今も、当時の面影を色濃く残す町並みが続いている。
 地形に沿って曲線を描く細い道、その端に祭られた石地蔵、旅人が休む四ツ堂もあれば、多くの人々が集った共同井戸の跡も残っている。かつての海岸線から山肌にかけて建て込んだ家並は、往時の賑わいを彷彿とさせてくれる。そして、そこに住む人々を見守ってきたのが、松永の地と共に歴史を歩んだ承天寺と、潮崎神社である。
 承天寺は寛文8年(1668)建立。潮崎神社は、古くは柳津村に鎮座したが、本庄重政が寛文3年(1663)に塩浜の守護神として現在地へ遷座し、今に続く。
 その潮崎神社にて、2009年10月、350周年の例大祭が行われた。様々な催しがあったと思われるが、やはり山車コンテストが一番華やかであろう。

 受け継がれる歴史

「本荘重政」人形をのせた山車

 当日コンテストは観ることができなかったが、翌日、潮崎神社界隈を歩いていると、町内巡行の山車に出くわすことができた。
 組み物や彫り物を施した風格のある山車に幕や幟や提灯が取りつけられ、前面には各町それぞれに趣向を凝らした人形飾りが山車前面から飛び出してくるかのように張りだしている。山車に結わえられた長い曳き綱には、子供たちや若い女性が囃し唄を口にしながら山車を引っ張っている。
 梶棒・押し棒に取り付いた若い衆はほろ酔い加減もあってか、威勢の良さが小気味いい。以前も書いたが、太鼓台は祭りの華だ。賑やかで勢いがあってこそである。自ずと町の勢いも感じ取れる。山車の巡行は各町の若者たちが主役だが、それを支える裏方には、それ以上の熱気を感じたことも記しておきたい。
 どの町の飾り付けも豪華で素晴らしく目を引いたが、とりわけ、濱見町の「本荘重政」人形が印象的だった。350年、過去から未来へと、ぶれることなく歩を進めている歴史がここにある。
 かつての海岸線に鎮座する潮崎神社も、今では羽原川に面した町中の神社となってしまった。しかし、町の風情はどこか懐かしさを感じさせてくれるほどしっとりと落ちついている。何よりそこに住む人々の思いは、今も変わらず潮崎神社に熱く注がれているようだ。これからもゆったりと長い歳月を刻んでいく町であろう。祭りの時も良いだろうが、いつか平時にそぞろ歩きたいものである。


備陽史探訪の会
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