第97回      備後の四ツ堂(22)

  
 福山市山野町矢川 「矢川間僧の堂」

2009年当時の倒壊しかけた矢川間僧の堂

 四ツ堂は備後の誇る習俗であり、何百年も地域に密着し生き続けてきた文化遺産である。しかし近年、地域コミュニティのあり方が変わるにつれ、四ツ堂もまた様変わりしつつある。ここ数年でも、立派な堂がコンクリート造りの小祠になったり、守る人もないまま倒壊していったりと、いくつも目の当たりにした。
 在りし日の姿を写真に留め、由来等が残された堂はまだよいが、人知れずひっそりと土に還っていく擁を見るのは、なんとも忍びない。
 古くから山野は、北は上下、南は福山へとつながる道を持ち、往来が多かった土地である。それぞれの街道沿いには今も多くの四ツ堂が残されている。
 立派に修復されたり、きちんと手入れされている堂に感じ入りながら街道を進んでいくと、県道坂瀬川芳井線に倒壊しかけた堂を見つけた。
 車の往来の少ない、人気のない場所に建つ堂として、自然の成り行きだろうが、一抹の寂しさを感じる。
 どういう歴史を歩んできた堂か、ずっと気になっていたが、福山市文化財協会発行『やまの』に詳しく掲載されていた。
 

須屋には一体の石仏がぽつんと残されていた。

 元は、「穴峠(けったわ)道(馬乗観音道)沿いで、「かんじや」(元矢川小学校付近)の近くにあったものを昭和二十年以降、県道が整備された時、休み場にするため、亀石に行く道の近くに移したそうだ。きれいな清水の井戸があったので、その場所に決めたという。その後、旧矢川小学校下がバス停になったので、その待合所にと再度移転。(平成二年)現在、バスは通わなくなっており、管理者である矢川下は一戸に減少。堂は放置された形になっているが、数年前までは掃除などされていた」そうである。
 掲載写真は、手入れされなくなったとはいえ、まだ充分四ツ堂としての美しさを保っている。それから19年……、地域の文化が、住民の築いた歴史がまたひとつ消えていこうとしている。


備陽史探訪の会
バックナンバー HOME クラブTOPへ ▲PageTop