第94回      備後の四ツ堂(21)

  
 福山市芦田町上有地 「燧ケ峠地蔵堂」

燧ケ峠峠のてっぺんにあるお堂

 昭和の初め頃まで、かつては芦田町から本郷、松永、尾道方面へ行くには必ず通っていたという燧ケ峠。(地図上では日内峠・火打ち峠とも記される)
 現在は、並行して県道158号尾道新市線と県道48号府中松永線が走り、この道を行き交う車の姿も滅多に見ることはない。
 しかし、往来の盛んだった頃、燧ケ峠で旅人が休んだ休み堂が今も残っている。
 建立やその由緒は不詳であるが、説明板には「足利尊氏が松永―横内―府中街道を開いた頃此の堂が建立された」とある。史実に残っているのは、享保20年(1735)上有地の住人が再興した本安寺の管掌であるということだ。なるほど入母屋式の立派な堂で、四ツ堂というより仏堂と呼んだ方がよさそうである。
 

本尊の腰折れ地蔵

 奥面に作られた壇は意外に簡素で、幕の間から二体の石地蔵がのぞくのみだ。その一体は折れてしまっており、針金で補修されている。しかし、この地蔵こそが、「腰折れ地蔵」として腰痛の人に御利益をもたらすお地蔵様である。
 その昔、有地の相撲取りが、尾道である相撲興行へ行くため、この峠を越えた。その途中、この堂で地蔵さんに「今日の相撲にはぜひ勝たせてください」と願を掛けて行ったのだが、見事に負けてしまった。帰途、堂に立ち寄り、なぜ勝たせてくれなかったと、一体の石地蔵を壇からおろして投げとばしてしまった。その地蔵は、腰の辺りから折れてしまったそうだ。
 後日、老婆が通りかかり、折れた地蔵さんを壇の上に安置して念仏を唱えたら腰の痛みが治ったという。そして、いつの頃から、誰からともなく「腰折れ地蔵」と云われるようになり、腰の痛い人がお参りするようになったそうだ。
 街道沿いに建つ四ツ堂として、多くの旅人が休んでいったこの堂も、今はひっそりと腰折れ地蔵が待つばかりだ。けれど、郷土の歴史の光はしっかりと灯され続けている。


備陽史探訪の会
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