第93回      足利義昭の足跡  2 

  
 津之郷の御殿畑

石垣の積まれた階段状の御殿畑。

 室町幕府最後の将軍・足利義昭が織田信長に追われ鞆に来ていた頃、住んでいた屋敷跡のひとつが、福山市津之郷町にある。前回紹介した蔀山は伝説の域を出ないが、こちらは信憑性がある。
 豊臣秀吉と足利義昭が会談したとされる田邊寺。その北方に位置する小高い下三嶋山(御殿山)の頂上が居館跡と目されている。現在、そこは御殿畑と称される個人所有の畑地である。御殿畑の前方の傾斜地には、家臣の屋敷が階段状に造成されていたという。石垣の積まれた畑地は、今も当時の様子をよく伝えている。平らにならされた頂上部は、陽がよく当たり、風通しも良く、如何にも公方様の居館跡にふさわしい。
 御殿畑の端に立ち南方を眺めると、新幹線の高架が視界を遮るものの、旧山陽道や国道沿いに並ぶ町並がよく見通せる。その向こうには草戸山の深い緑。
 室町時代末期とは、あきらかに違う風景だが、軒並みを陽に透かし、風に耳を傾けていと、イメージは時空を超えてゆく。開発が進んだとはいえ、この地が歩んできた歴史が確かにまだこの地に息づいている証拠であろう。
 その御殿畑の西側の丘にあるのが、惣堂神社だ。御祭神は猿田彦命ときくが、どうやら義昭が祀られていた神社なのだそうだ。
 惣堂神社と義昭像

御殿畑の西側にある惣堂神社

 『備陽六郡志』によれば、もともと下三嶋(ソウドウ)に将軍義昭が祀ってあったそうだ。御神体は黒装束に立烏帽子の義昭、それに御台所の像であったとある。元文の頃に、西の丘(現惣堂神社がある丘)に祀ってある御台所の社と祭りの日が同じなので、一社に勧請された。それが、現在伝わる惣堂神社の前身だという。 
 神社の御祭神が変わるというのは、よくある話だ。しかし、今も黒装束の義昭と御台所の像は本殿に安置されているという。社殿は固く閉じられ見ることは叶わないが、漆喰の壁になぜか惹きつけられてしまった。
 昭和五十四年に福山市の無形民俗文化財に指定されている津之郷惣堂ひんよう踊りは、毎年秋祭りにこの神社境内に行われる。
 御殿畑は、義昭が少なくとも天正13年(1585)から天正15年(1587)は居住していたわけであるが、文化財指定がされているわけでもなく、碑があるわけでもない。居館の遺跡が発掘されたわけでもなく、その跡を見極めることさえ困難である。しかし、郷土を愛する市井の郷土史家の方たちがよく研究をされ、埋もれた歴史の片鱗を丹念に救いあげてくださるおかげで、またひとつ後世につなげる遺産ができた。それを埋もれさせるかどうかは、これからを生きる我々次第であろう。 


備陽史探訪の会
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