第92回      

  
 文化財の宝庫「今高野山」

今高野山の参道。

 旧備後国の中部に位置する世羅町は、平安時代から室町時代にかけて「備後国大田庄」があった場所として、全国的に有名である。
 大田庄は平安時代に当時の世羅郡の豪族・橘氏により開かれ、その後、平清盛の子である平重衝の領地となり、永万2年(1166)後白河院に寄進。しかし、壇ノ浦の合戦で平氏が滅亡すると、その永代供養料として院は文治2年(1186)大田庄を紀州高野山根本大塔へ寄進。高野山は、西の別格本山として、甲山の地に「今高野山」を建立。以後270年間、大田庄は高野山領として営まれた。
 時代が移り荘園はなくなったが、「今高野山」は栄華を誇った当時の面影を濃く残し、今もその場所に佇んでいる。
 「今」とは、紀州高野山(822年開基)に比して、「新しい」という意味であるが、その「今高野山」もすでに800余年の歴史を誇っている。
 最盛期には龍華寺・金峰寺・丹生神社を中心に7堂12院が建てられていたそうだが、戦国時代の戦禍、江戸時代の大火などにより、今では、総門、安楽院、福知院、龍華寺本堂・御影堂・護摩堂・十王堂、丹生神社、鐘楼だけが残っている。
 美味なる遺産

「唐まんじゅう」。商店街には二店ある。食べ比べしてみると良いかもしれない。

 「今高野山」は、古文書に出てくる現地が残っていることから、昭和27年、県の史跡に指定された。建造物のみならず、平安時代の「十一面観音立像(国重文)」、鎌倉時代の「獅子頭(国重文)」など創建以来の遺物を始め、貴重な文化的遺産が数多い。
 その上さらに、美味しい遺産まであるのだ。
 今高野山のふもとに栄えた門前町は、江戸時代に入ってから、山陰山陽の交通の要衝地となり、宿場町・市場町として賑わった。その町(旧甲山町)にある一軒の店で、守られ続けている味の遺産に出会った。
 それは、高野山の開祖・弘法大師が伝えた唐の菓子の製法が始まりとされる。昔はだんごまんじゅうと呼ばれていたようだが、それを300年ほど前に味付けし、土産用に売りだしたのが、今に伝わる「唐(とう)まんじゅう」である。(浅草にも有名な唐まんじゅうがあるが、こちらは全く別物である。)
 白あんを包んでじっくり焼き上げたもので、固い手ざわりのまあるい外観はなんとも素朴だ。しかし、できたてを一口食して、驚いた。かりっとした皮の食感に、しっとりとした餡のやわらかさが、なんとも小気味よい口あたりだ。上品な甘みが、すっと舌の上でとけてゆく。その見た目の素朴さからは想像もできない風雅な味わいである。当時は、上方茶人に喜ばれたそうだが、なるほど納得だ。
 そのお店は、江戸期の創業以来の味を守り続けているという。300年前の旅人がこの味に舌鼓を打ったのならば、300年後にこの地を訪れる旅人にも、ぜひ同じ味を堪能してほしいと思う。


備陽史探訪の会
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