第91回      備後の四ツ堂(20)

  
 福山市芦田町福田 「才町地蔵堂」

簡素な堂であるが、立派なお地蔵様が並んでいる。

 文化や伝統が受け継がれていくには、三つの在り様がある。ひとつはカタチが受け継がれる。ひとつはココロが受け継がれる。もうひとつは両方が受け継がれる。両方とも伝えていくのがベストだろうが、往々にしてカタチのみが踏襲される場合が多い。そしてその多くは、滅びゆく定めにある。
 伝統は、精神が受け継がれてこそ、伝統と言えるのだ。
 備後の四ツ堂は地域特有の習俗であるが、それが今も生きているかどうかというのは、偏にその精神がその地域に受け継がれているかどうかであろう。
 芦田町福田才町にある地蔵堂は、昭和40年代に約100m東側の有地川堤防上から移築されたものである。移築の時、天明3年(1783)銘の棟札があったそうだ。堂についての伝承に「江戸時代にはやり病があり、多くの死者が出た。これらの人々を弔うために石造と堂を建てた」とある。
 

堂前の「享保」の石碑。

 堂はセメント瓦葺の切妻屋根で、四ツ堂としては簡素な造りである。創建当時は、おそらく宝形造りではなかったか。堂内には石造舟形浮彫地蔵菩薩一体と石造舟形陽刻大師像二体が祀られている。地蔵尊には「天明三卯天七月吉日」と刻印されている。
 死者を弔うための地蔵堂ということで、いわゆる「備後の四ツ堂」とは少し意味合いが違う。しかし、堂の傍らに置かれた七体の地蔵尊、そして堂内の三体ともに手厚く祀られている様子を見れば、創建当時の人々の精神が、確かに受け継がれているように思う。
 毎年8月23日の地蔵盆には、堂への参詣者が続き、豆や菓子など配る「お接待」もされていたそうだ。近年については未確認だが、今も変わらず続いていてほしいものである。
 余談であるが、堂の前に「享保」の銘が入った石碑のようなものが埋め込まれていた。天明年間と同じく享保年間も風水害の多かった年である。堂と一緒に移築されてきたものか、この場所に前からあったものなのか。こちらの歴史は語り継がれる事がなかったのか、少々気になった。


備陽史探訪の会
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