第88回      備後の四ツ堂(19)

  
 福山市山手町 「深谷の四ツ堂」

深谷の四ツ堂。

 「山手」は古い土地である。今の福山中心部がまだ海であった頃から、人々が暮らしていた地である。戦国時代には杉原盛重の居城銀山城の城下町として栄えた。その城下町の南方(現在の津之郷町との境あたり)にあるのが「深谷の四ツ堂」である。
 昭和五九年の調査では山手町には五宇の所在が報告されている。そのいずれもがかつての街道沿いにあったものと思われる。一宇は戦国時代に交通の要所であった「巷」と呼ばれた場所近く、その他はかつての駅家方面へ抜ける街道沿いに散らばっている。
 四ツ堂には棟札など建立・再建の記録を伝える史料は少ないが、「深谷の四ツ堂」は元禄八年(1695)と宝暦七年(1757)の寄付帳が残されている。建立がいつの頃から不明だが、50年ごとに再建や修理などの記録が多いので、江戸初期にはそこにあったのだろう。もっとも山手村の歴史を鑑みれば、もっと古いものであっても不思議ではない。
 当時の古老の話によれば堂の東側に「そうれん駕籠」を置いていたそうだ。これは葬礼送り用の駕籠であり、共有の葬送用具を収納する場所としても使われていたのだろう。
 

かつて旅人が歩いた道だろうか、小道沿いにある堂。

 さすがに今は、そういう風習はなく駕籠などは置いてないが、上の段の須屋には五体の地蔵尊、その下の部分には九体の牛供養地蔵が祀られ、きちんと管理されている様子が伺える。堂前面の上り坂は墓地へと続き、側面には小径が続いている。江戸時代の道幅がどの程度だったかは定かではないが、古の人々がこの道を往来したことは、間違いあるまい。
 歴史を積み重ねてきた土地の多くは、道は細く入り組んでおり、外部の者は近づき難い。しかし、そういう場所にこそ日本人の原風景があるのではないだろうか。さすがにドライブがてらというわけには行かないが、自転車や徒歩で、その昔旅人が往来した古道を見つけて歩くのも、新しい歴史的楽しみ方であろう。


備陽史探訪の会
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