第87回      

  
 三十柱の神々

熊野町の三十番神社に祭られた三十神。

 三十番神というのをご存じだろうか。
 毎日交替で国家や国民などを守護するとされた三十柱の神々のことで、最澄が比叡山に祀ったのが最初とされる。鎌倉時代には盛んに信仰されるようになったが、中世以降は特に日蓮宗で重視された。また、吉田神道も天台宗・日蓮宗とは別の天地擁護・王城守護・吾国守護の三十番神を唱えた。
 古事類苑によれば、三十番神は十種類あり、法華経守護・天地擁護・内侍所・王城守護・吾が国守護・禁闕(きんけつ)守護・如法守護・法華守護・仁王経守護・如法経守護である。
 三十番神は神仏習合時代の信仰である。この時代唱えられた本地垂迹説は、本地である仏・菩薩が衆生を救うために仮の姿である垂迹身(神)となって日本に現れたというものである。つまり、仏様の仮の姿として三十番神というわけである。そのため、明治の神仏分離により配祠が禁じられた。
 三十番神を祀る神社は三十番神社や番神社と呼ばれる。かつては、日蓮宗の寺には番神堂として必ず祀られていたようであるが、明治になって徹底的に破壊され今では数えるほどしかない。神社として独立した番神社はさらに珍しい存在である。
 熊野の三十番神社

三十番神社の拝殿

 神社誌にも載らぬ三十番神社を探し歩いている友人の影響で、それまで知らなかった三十番神が少し気になるようになっていた。そん時、たまたま地図で見つけた熊野町の三十番神社。福山から沼隈へと向う通りがかりにふらりと立ちよってみた。
 本殿に安置された厨子の中に、内裏雛のような三十体のご神体。今まで知ることのなかった文化に巡り合った感激に、不敬だが思わずシャッターを切っていた。白い幕に隠され、全体は見えないが、おそらく三十柱が鎮座しているのだろう。
 しかし、山の中腹に建つこの神社の本殿は神殿のようには見えない。どちらかと言えばお堂のようだ。坂下の土地は墓所となっているので、あるいは寺の境内の番神堂なのか。それにしても辺りに寺らしき建物は見えない。寄付名簿には三十番神社と記されているので、やはり独立した神社なのだろうか。
 友人によれば、備後の三十番神は、熊野町常国寺、鞆町妙蓮寺、水呑町善住寺境内に祀られている他、神社としては、熊野町と草戸町にのみ鎮座しているそうだ。
 静謐なる三十番神社の境内に佇んでいると、はるか遠くの歴史の狂瀾が、ふいに胸に迫ってきた。激烈を極めたという排仏毀釈運動。寺にある鳥居、神社にある梵鐘、そして番神堂に三十番神社……、それらは偶然残ったものか、残されたものなのか。
 葬り去られようとした歴史は、明治の動乱期を乗り越え、熊野の小高い山の中腹に、今もひそやかに息づいている。


備陽史探訪の会
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